今日の詩篇143篇は、悔い改めの歌です。悔い改めの詩篇と呼ばれる7詩篇のうちのひとつです。これも、個人の嘆きの歌です。
1節~6節:嘆き。1節:私の祈りを聞き入れて下さい。その根拠は主が真実であり、義なるお方だからです。2節:さばきをもってこないで下さい。誰一人、神の御前に義と認められないからです。3節:サタンを頭とする、もろもろの敵が取り囲み、私を無理やり、暗い所に閉じ込めました。4節:私の霊は衰え果て、気力も、生気も失いました。5節:昔、民が絶望した時に主が救いをもたらされたことを思いだし、静かに考える時、神こそ頼るべき方であると分ってくるのです。6節:当時、手を差し伸べるのが、一般的な祈りの姿勢でした。他方、手を組んだ下を向いて祈るのは、ゲルマン民族から受け継いだ祈りの姿勢である、と言われています。作者は、心からの飢え渇きを覚えて両手を主に向かって差し出して祈っています。
7節~12節:嘆願。7節:私の霊が衰え果てないうちに、どうぞ、私に答えて下さい。8節:イスラエル人の1日は、夕暮れから始まりました。1日は、決して、暗闇で終わるのではありません。必ず、朝が来るのです。ですから、朝には、あなたの恵みのことばをもって応えて下さい。9節:私は、あなたの中に身を隠します。10節:自分の欠けや足りなさを自覚しつつ、私を弟子として訓練して下さい、というニュアンスです。11節:神ご自身のあわれみのゆえに、私に助けの手を差し伸べて、苦しみから救い出してください。12節:敵を滅ぼしてほしいと願うのは、私が神のしもべとして、いつまでも仕えたいからです。
今日の聖書箇所から教えられることは、現代においても、私たちが神のしもべとして立とうとする時、必ず、サタンの攻撃に遭遇することです。そのため、使徒パウロは、私たちにあらかじめ語っています。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。・・・」(エペソ人への手紙6章)
清宣教師。