今日は、詩篇150篇です。一歩、一歩、小さな歩みですが、5か月が過ぎて、詩篇を終えることが出来ました。
中国の諺にもありますが、物事を始めること(創業)も難しいが、それ以上に難しいことは始めたことを堅く守ること(持続)であると言われています。良い決心をするのですが、それが継続しないことが、多くの場合、失敗の原因のようです。1992年11月19日より開始した1日1章も、いま、8巡目の半ばを迎えています。2020年6月頃、黙示録22章で8巡目を完了する予定です。
きょうは詩篇全体の頌栄とも言われる個所です。初めから終わりまで、「神をほめたたえよ」となっております。ハレルヤも、「主をほめたたえよ」という意味ですから、13回も繰り返されています。3節の角笛は祭司たちの楽器、4節の十弦の琴と竪琴はレビ人たちの楽器、タンバリンと踊りは女性たちのこと、緒琴と笛は一般会衆の楽器であると考えられています。つまり、神殿の中でも、境内でも、婦人の庭でも、一般の庭でも、みんな、主に賛美を捧げている光景です。詩篇1篇は、「幸いなことよ」で、信仰者の幸せを祈る詩篇で始まりました。そして、150篇に至るまでには、「敵に包囲されて失望落胆の中にある詩篇」、「問題が山積して渦中にある詩篇」、「根も葉もない中傷に心がズタズタにされている詩篇」、「自分が犯した罪で悲しみの中にある詩篇」、いろいろな詩篇がおさめられてきました。しかし、最後の詩篇は、神への賛美で終わっています。これは、ちょうど、クリスチャンの人生に似ています。
今日の聖書箇所から教えられることは、私たちの人生も、いろいろな経験によって埋められています。しかし、最後は、永遠の賛美(天の御国)で完成することになっています。30歳の若さで天に召されたクリスチャンの詩人、八木重吉が「素朴な琴」という詩を書いています。「この明るさの中へ ひとつの素朴な琴を置けば 秋の美しさに 耐えかねて 琴は静かに鳴りいだすだろう」と書き記しています。私たちも、私たちの故郷である天の御国に帰るなら、ごく自然に、私たちの心の奥底から賛美がほとばしりでてくるでしょう。
清宣教師