今日の19章ですが、大体の流れとしては、前半は友人、思慮のある人、愚かな者が取り上げられていますが、後半は、主との関係、訓戒の問題などが取り上げられています。箴言を読んでいると、思わず、おかしくて笑ったり、ドキッとしたり、極意を伝えられたような気持になったり様々です。「妻のいさかいは、したたり続ける雨漏り」、なんとなく、おかしくて笑ってしまいます。川柳のような感じですね。これが成り立つということは、妻に共通の一般的な特徴をつかんでいるからと思われます。では、何割くらいの妻がそうなのでしょうか。5割では、成り立ちませんね。やはり、8割あるいは9割の妻に共通するからこそ、これが箴言として採用されたのだと思われます。どうしても、妻(?)は、過去のことをいつまでも悔やんで、何かあると、話題の中に、したたりつづけるように思われます。「滴り続ける雨漏り」、その受け皿は夫でしょうか。いつも快晴でいてほしいですね。でも、きょうも、再度、登場することばがあります。確認です。「思慮深い妻は主からのもの」(14節)。改めて、奥さんもご主人も、ご一緒に、大きな声で「アーメン!!」と言いましょう。「熱心だけで知識のないのは良くない。急ぎ足の者はつまずく」(2節)。「人に思慮があれば、怒りをおそくする。」(11節)。思わず、ドキッとします。柔和な生き方、寛大なこころを持てない自分に反省です。仕事優先、効率優先になりがちな自分なので、思うように出来ないと、八つ当たりしている自分に気づきます。「忠告を聞き、訓戒を受け入れよ」(20節)。自分の心が狭いとすぐには、忠告を受け入れることが難しいです。しかし、そうではあっても、心が落ち着けば、受け入れ態勢が整います。祈りのうちに、2,3時間もたつと、冷静に受け入れられるようになります。聖霊様が助けて下さいます。「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」(21節)。これは、極意を授けられる感じですね。クリスチャンとしての免許皆伝の極意のようです。このことばは真理です。そうだ、今回、失敗したのは、自分の計画だったのだ。だから、失敗したのだ。しかし、主のはかりごとは必ずなるのだ。私たちに、将来と希望と幸せを与えるための主のご計画は必ず成るのだから、主に委ねよう、という結論に達します。いま、私たちの心の中にも、多くの計画があります。しかし、その中で、主のはかりごとだけが成ります。それで、OKです。私たちは将来のことは分らないので、いろいろ、計画を立てます。でも、その中で、主のご計画がなるのですから、感謝です。「人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。」(16章1節)。「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である」(16章9節)。
今日の聖書箇所から教えられることは、無限の叡智をもって万物を創造された全能の神が、私たちの味方であるということです。では、ご一緒に、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8章28節)と、大きな声で告白しましょう。
清宣教師