前の30章と同じように、この31章もソロモンの箴言ではありません。マサの王レムエルが母から受けたことばです。レムエルの母がレムエル王に語ったとされることばですが、これはまさに、ソロモン王のことを念頭においた母の戒めのことばのように思われます。ソロモン王は、700人の王妃としての妻と300人のそばめをもっていたことが知られています(第1、列王記11章3節)。まさに、ソロモン王は、女性との関係において、王のなすべき務めも疎かになっていたと思われます。「あなたの力を女に費やすな。」ということばは、王の母から王に対する戒めとしてはピッタリです。さらに、王として注意すべき事柄として、酒の奴隷にならないように(4節~7節)、障害者や不幸な人たちに心を配ること(8節)、また、正しい裁判をすること(9節)を挙げています。これは王の母の願いですが、まさに、天の父なる神の願いであるとも言えます。さて、10節~31節には、賢い妻について述べられています。これがレムエル王の母の戒めの続きなのかどうかは、明確ではないようです。いずれにせよ、箴言の編集者は、箴言の最後を飾るものとして、理想的な女性像を語りたかったのですね。天地万物の創世の時から、人類に対する最大の祝福は、理想的な妻のいる家庭、あるいは理想的な母のいる家庭であると、箴言の編集者が考えていたことを示しています。なお、この部分は、聖書の原文では、「いろは歌」(それぞれの行の最初のことばがアルファベットの順になっている)になっています。つまり、誰でも、暗記して歌えるように工夫されています。それでは、10節~31節の全文を掲載します。必要なとき、読み返してみて下さい。
しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。夫の心は彼女を信頼し、彼は「収益」に欠けることがない。彼女は生きながらえている間、夫に良いことをし、悪いことをしない。彼女は羊毛や亜麻を手に入れ、喜んで自分の手でそれを仕上げる。彼女は商人の舟のように、遠い所から食糧を運んで来る。彼女は夜明け前に起き、家の者に食事を整え、召使いの女たちに用事を言いつける。彼女は畑をよく調べて、それを手に入れ、自分がかせいで、ぶどう畑を作り、腰に帯を強く引き締め、勇ましく腕をふるう。彼女は収入がよいのを味わい、そのともしびは夜になっても消えない。彼女は糸取り棒に手を差し伸べ、手に糸巻きをつかむ。彼女は悩んでいる人に手を差し出し、貧しい者に手を差し伸べる。彼女は家の者のために雪を恐れない。家の者はみな、あわせの着物を着ているからだ。彼女は自分のための敷き物を作り、彼女の着物は亜麻布と紫色の撚り糸でできている。夫は町囲みのうちで人々によく知られ、土地の長老たちとともに座に着く。彼女は亜麻布の着物を作って、売り、帯を作って、商人に渡す。彼女は力と気品を身につけ、ほほえみながら後の日を待つ。彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には恵みのおしえがある。彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえて言う。「しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている」と。麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、【主】を恐れる女はほめたたえられる。彼女の手でかせいだ実を彼女に与え、彼女のしたことを町囲みのうちでほめたたえよ。
今日の聖書箇所から教えられることは、母の偉大さ、また、家庭における妻の存在感です。「麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる」(30節)。人類誕生のとき、エバは、アダムのふさわしい助け手として創造されました。父なる神のみこころが、この地でなりますように。「良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、主からの恵みをいただく」(箴言18章22節)。
清宣教師