6章の全体の流れですが、きょうも、「日の下」(1節)で始まり、「日の下」(12節)で終わります。古来、ユダヤでは、この世(日の下)において幸福な人生(祝福された人生)とは、第1に、「富と財宝と誉れ」(2節)を受けることでした。第2に、「多くの子どもたち」(3節)を受けること、そして、第3に、「長寿」(6節)を受けることと言われてきました。しかし、自分の口(内側の欲望)は飽くことを知らないのです。満足することが出来ないのです(7節)。日の下で「富と財宝と誉れ、多くの子ども、長寿」を得たとしても、結局、みな死んでしまうのだから、空しい(12節)。結局、死という問題が解決されなければ、すべては空しい、という虚無的な結論に行きついてしまうのです。日の下で、自分の幸せ、自分の平安だけを求めても、そこには空しさしか得られないのです。
今日の聖書箇所から教えられることは、日の下(神を無視した世界)には解決がないことです。しかし、クリスチャンには解決があります。全能なる神が、墓の向こう、永遠の御座から、「あなたはわたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語ってくださっておられるのです。
清宣教師