28章は、どちらかというと、反意的パラレリズムが多いようです。この章も、まとまったテーマはありませんが、財産や政治に関するものが比較的多く含まれています。
国の指導者が派閥争いをして乱立するような状況は、国に混乱と不安定をもたらし、貧困や災いをもたらす要因となる一方、分別と知識のある優れた指導者が立つときに、国は安定し、民たちに繁栄をもたらします(2節)。次に11節ですが、人は富をもつと、自分に知恵があったから金持ちになったと思い込む傾向があります。それで、自分の生き方を顧みることをしないで、利己的なお金の使い方をしたり、神を無視した生き方をしがちです。一方で、貧しい境遇にあると、高ぶることをせず、自分を吟味し、知恵のある生き方を選ぶのです(11節)。暴虐な君主の振る舞いは、民たちを苦しめます。しかし、不正な利得を憎む政治家が治めると、民たちは幸福であり、その政治家自身も神の祝福を受けて長生きするのです(15節、16節)。与えられた仕事を忠実に果たす時、多くの祝福を受けます。しかし、与えられた仕事をないがしろにして、早く利得を得ようと焦るなら失敗を免れないのです(20節)。また、人の持ち物をいつも欲しがり、ねたみ、あせって財産を得ようとする人は、神を無視して生きるので、神からの祝福を受けることが出来ず、かえって欠乏を招くことになるのです(22節)。物に執着する貪欲な人は、いろいろな場面で争いを引き起こしますが、お金や富ではなく、主なる神に頼る者は、最終的に祝福され、豊かになるのです(25節)。創造主のみこころに従い、貧しい者に心を配り、施す者は主からの祝福を受けて豊かになります。しかし、あえて、貧しい者から目をそむけるものは、のろいを受けてしまいます(27節)。
今日の聖書箇所から教えられることですが、2章4節、7節、9節に記されている「教え」とは、旧約聖書の原語(ヘブル語)では「トーラー」ということばが用いられています。これは、律法全体、また、神のことばを表すことばです。私たちの人生の教えの土台は、神のことばです。私たちのために日々のみことばの糧を備えておられる神様に感謝します。
清宣教師