前章で、イザヤは主の命を受けて、アハズ王に対してアッシリヤとの同盟を結ぶことが、あとで多大な危険をもたらすことになることを警告しましたが、アハズ王はほとんど意に介さなかったようです。それで、主は再び、イザヤに命じて、アッシリヤがもたらす危険について警告を与えるため、今度はアハズ王だけでなく、民衆の前で訴えたように思われます。主は、イザヤに対して誰にでも読めるように、大きな板の上に「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ」という名前を記させました。それを証人に示し、誰でも読めるようにしました。このことばの意味は、「急いで略奪品を、速やかに捕獲品を」というものでした。つまり、南ユダはこのように敵の手によって略奪される、という意味でした。主の命により、イザヤは女預言者を迎えて、彼女は男の子を産みました。そこで、その子の名を、「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ」と命名しました。この子が、「お父さん」、「お母さん」と呼ぶことも知らないうちに、アッシリヤの王がアラムと北イスラエルを占領してしまうことを預言しました。主は、この預言を通して、アハズ王や南ユダの民たちにアッシリヤの勢力がやがて南ユダに迫ることを警告したものですが、アハズ王や南ユダの民たちは、当面の敵であるアラムと北イスラエルがアッシリヤに敗北するという預言を喜ぶだけで、同じような災害が自分たちの身に降りかかるとは思わなかったようです。それで、5節~10節では、南ユダが、神の民でありながら、神に頼らずに、目に見える強国アッシリヤにより頼む姿勢を強く非難しました。そして、その頑なさのゆえに、結局、アッシリヤ王は、大河ユーフラテスの流れのように南ユダ王国に攻め寄せてきて、ユダを呑込もうとするので、南ユダは首まで達するような危機に陥るとの預言です。しかし、イザヤは、危機一髪のところで、インマヌエルの神が翼を広げて南ユダ王国を守られ、アッシリヤの大軍は打ち負かされる幻を見たのだと思われます(8節)。ところが、南ユダの民も、アハズ王も、イザヤが語る神のことばを無視して、預言者イザヤをアハズ王への反逆者とみなし、非難する雰囲気があったようです。イザヤは、民たちの非難によって、意気消沈して、落胆したようです。それで、11節~16節で、主がイザヤを励ましました。そして、「聖なる万軍の主だけを恐れよ」と命じました。しかし、北イスラエルにとっても、南ユダ王国にとっても、主のことばは「妨げの岩」、「つまずきの岩」でしかないのです。もはや、神の民と呼ばれる状況ではなく、反逆の民でしかないという状況になっていくのです。そして、ついに、神が警告されたように、御顔を隠されことになり、暗黒の時代が訪れるのです。北イスラエルの滅亡も、南ユダの滅亡も、こうして避けられない状況へと突入していきます。
今日の聖書箇所から教えられることは、神の民であっても、周囲の状況に振り回され、目に見えるものに頼り、ことごとく神を無視するなら、無神論者と変わりません。「苦難とやみ」「苦悩の暗やみ」(22節)の時代にあっても、主は私たちが「まことの希望」を持つ信仰者として立つことを願っておられます。
清宣教師