今日の20章1節では、「アッシリアの王サルゴンによって派遣されたタルタンがアシュドテに来て、アシュドテを攻め、これを取った年――」と記されています。これは紀元前711年の出来事と考えられます。当時の状況を少し遡ってみます。紀元前716年ごろ、クシュ(エチオピア)のシャバカが起こって、エジプトを統治するようになりました。この時期のアッシリヤは各地の反乱を鎮圧するのに多忙で、地中海沿岸の国まで強大な支配権を及ぼすことが難しい状況にありました。それで、紀元前713年、ペリシテ(アシュドテはペリシテの5大都市のひとつ)が、エジプトに頼り、アッシリアに対して反乱を起こしました。ところが、意外に早く、アッシリアのサルゴン王は、各地の反乱を平定して、紀元前711年に、タルタン(アッシリア軍の最高司令官)を派遣して、ペリシテ(アシュドテ)を占領してしまいました。エジプトは、エジプトに亡命したアシュドテの王ヤマニを、アッシリアの手に引き渡さざるを得ませんでした。さて、アッシリアが、アシュドテを攻め取った年、イザヤに主の命が下りました。それは、裸になり、裸足になり、3年間、人々の間で暮らすようにということでした。これはとても恥ずかしいことでしたが、イザヤは主が命じられた通りにしました。なんのためにそうするのか、イザヤは知りませんでしたが、従いました。主の命令だったからです。イザヤは真に主に忠誠を尽くす預言者でした。3年のあと、主から、南ユダの民に対して、解き明かしがありました。それは南ユダの民が頑なで、ことばで語っても効果がなかったからと思われます。あの大預言者イザヤが、屈辱をしのんで、実際に3年間も人々の間で、デモンストレーションしたのです。3年間、民衆の話題になっていたに違いありません。「あれはいったい、なんだ」という人々の反応でした。そこで、主の解き明かしのメッセージがありました。南ユダがエジプトにより頼むなら、イザヤが実際に行ったように、南ユダの民は、アッシリアに、裸で、裸足で、引いて行かれるという警告です。アシュドデだけでなく、地中海沿岸の諸国も、エジプトに期待するなら、アッシリアによって滅ぼされる、という預言です。唯一のよりどころは、主なる神であるという南ユダの民に対するメッセージが隠されています。
今日の聖書箇所から教えられることは、ひとつは、主の御計画は必ず成就するということです。もうひとつは、主のしもべは、理由がわからなくても、主の命令には忠誠をつくすことが求められていることです。イザヤのように辱めを受けても、忍耐をもって主の命令に従い、時を待つことです。必ず、主は、すべてのことを働かさせて、益として下さいます。
清宣教師