今日の1節~7節のテーマは、背負う神です。「ベル」とは、バビロンの主要な偶像神、太陽神のマルドゥクのことです。「ネボ」は、ベルの子で、学問の神とされています。これらの偶像神は、本来、人間にとっては単なるお荷物にしかすぎません。これらの巨大な偶像は、祭りのたびに、家畜の背によって運ばれ、町々を行進するのですが、結局、バビロンが敗北した時には、敵軍の戦利品として持ち去られてしまうのです(1節、2節)。もちろん、ベルも、ネボも、自分の力で歩くこともできないし、バビロンを救うことも出来ず、ただ縛られて運び去られるだけのものなのです。一方、イスラエルの神は、神の民を背負い、運びだし、救い出すお方なのです(3節、4節)。人間がお世話をして運んであげるのが偶像神です、一方、神の民を救い出し、背負い、運んでくださるのが、生ける真の創造主なのです(5節~7節)。
8節~13節のテーマは、確実な救いです。偶像に仕えるべきか、それとも、イスラエルの神に仕えるべきか、二つの間で迷っているイスラエルの民に対して、「思い出し」とか「思い出せ」(8節、9節)と命じています。イスラエルの歴史を思い出すなら、その結論は明白です。未来のことを的確に預言し、バビロン捕囚からの解放を預言できるのは、時空を超えた創造主だけです。主は計画をもっておられ、そのことを必ず、成就されるのです(11節~13節)。
今日の聖書箇所から教えられることは、偶像の無力さです。また、創造主の力強さです。私たちは、誰を尊敬し、誰を愛し、誰に頼るべきでしょうか。もちろん、天と地の創造主に信頼することです。御子イエス様が模範を示して下さったように、隠れたところで見ておられる天の父なる神と静かに交わることです。神の御子イエス様は、隠れたところでの御父との交わりを通して、日々の宣教、癒し、力、知恵をいただきました。弟子たちは、そのことを目の当たりに見て、私たちにも「祈り」を教えて下さいと、イエス様に願ったのです。私たちも、隠れたところで見ておられる、天の父なる神様と交わり、お祈りしましょう。
清宣教師