きょうの1日1章は、イザヤ書の前半(1章―39章)から後半(40章―66章)への橋渡しの役割を担っている部分です。これまでのところでは、南ユダ王国のアハズ王の治世からヒゼキヤ王の治世の途中までの30年以上にわたる、預言者イザヤの働きを見てきました。南ユダの指導者に対する警告、とくに、超大国のはざまで、創造主なる神に頼ることなく、武力や外交上の駆け引きなどに頼る指導者に対する極めて強い警告がなされてきました。きょうの36章は、紀元前701年ころの出来事と考えられます。アッシリア帝国は内政問題を解決して、南ユダのヒゼキヤ王の時代に、南ユダに対して大攻勢をかけてきました。セナケリブ王が率いるアッシリア軍のエルサレム包囲です。ヒゼキヤ王の統治の第14年の事でした。この事件の経過については、第2列王記18章13節―19章37節(ただし、18章14節―16節を除く)に記されています。また、異なる視点から第2歴代誌32章1節―22節にも記されています。
イザヤ書36章1節~20節:アッシリア王が、ラブシャケに大軍をつけて、エルサレムを包囲し、南ユダに降伏をもとめる場面です。そこは布さらしの野への大路にある上の池の水道のそばでした(36章2節)。まさに、その場所は、かつて、預言者イザヤが当時の王アハブに対して、アッシリアではなく、主に信頼するように求めた場所でした。しかし、アハブは主の預言者のことばに従わず、アッシリアと親交を結ぶことにより解決をはかろうとしました。いま、ヒゼキヤ王は、最大の苦境に立たされています。敵のアッシリアは、ユダの内部状況に詳しく、ユダの内部の新アッシリア派から情報提供を受けたと考えられます。ラブシャケはユダの民たちに、直接、語りかけました。それは現実だけを見る者たちに対して、説得力のあることばでした。36章21節―22節:ラブシャケに対して、だれも答えようとはしませんでした。南ユダの者たちは、ヒゼキヤ王が「彼に答えるな」という命令を下していたので、だれも、一言も答えませんでした。そして、高官たちはなすすべもなく、衣を裂いて、ヒゼキヤ王のもとへ行き、ラブ・シャケのことばを伝えました。このあと、ヒゼキヤは預言者イザヤに主のみこころを尋ねています(37章)。
今日の聖書箇所から教えられることは、16節において、敵は「私と和を結ぶならお前たちは幸せになる」という偽りの宣告をしています。サタンが私たちクリスチャンに対して誘惑するときにも、同じ手口を使います。その時、私たちは、サタンのことばに対して自分で答えてはならないという原則を見ることが出来ます。イエス様の模範のように、聖書のことば、神のみことばを用いて対抗するのです(マタイの福音書4章1節~11節参照)。
清宣教師