アッシリアの圧倒的な軍事力と謀略により、エルサレムは包囲されて滅亡寸前の状況に追い込まれていました。そこで、ヒゼキヤ王は、自分の衣を裂き、荒布を身にまとい、主の宮に行きました。高官を遣わして、「きょうは、苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。・・・」とイザヤに伝えました(1節―5節)。それに対して、預言者イザヤはヒゼキヤ王への主からのことばを伝えました。「彼はある噂を聞いて、自分の国に引き揚げる。私は、その国で彼を剣で倒す」(6節―7節)。アッシリアの王は、ヒセキヤに使者を送り、これまでの戦績を誇り、威嚇して、南ユダに無条件降伏を勧めました(8節―13節)。ヒゼキヤ王は、その手紙を主の宮に行き、主の前に広げて祈りました。「あなたが天地を造られました。そして、異教の国々がアッシリアの手によって敗北したのは、彼らが礼拝していた神々は木や石で作った偶像に過ぎなかったからです。創造主なる神よ、いま、あなたの手によって、私たちを救い出してください」と主に祈りました。(14節―20節)。そのとき、イザヤは、ヒゼキヤ王に対して、「私はあなたの祈りを聞いた」と主からの応答を伝え、さらに、アッシリアの王に対する、主の宣告を伝えました。その中で、アッシリアに対して、これから主がなされることを宣言しています(21節ー29節)。また、ユダに対する預言としては、エルサレムの食糧事情は、アッシリアの包囲によって著しく圧迫されていましたが、3年目には通常の農作業により、通常の収穫を得るようになると約束されています。さらに滅亡寸前と思われていた南ユダは、「下に根を張り、上に実を結ぶ」と約束しています(30節-32節)。そして、再び、アッシリアに対して、主は、アッシリアの退却とエルサレムの救いを宣告しています(33節―35節)。そして、実際に、南ユダがまったく手を下すことなく、主の使いによってアッシリアの大軍は打たれました。それは同士討ちか、疫病か、あるいはもっと特別な手段に拠ったのかも知れません。ともかく、アッシリアはエルサレムを占領できずに、退却したのでした。それから、約20年後、セナケリブは自分の神ニスロクの神殿で礼拝中に暗殺されました(36節―38節)。
今日の聖書箇所は、絶体絶命の状況に追い込まれてもなお、私たちには逃れの道が開かれていることを教えています。それは天です。この地上は四方八方から包囲されても、天の窓は開いています。まことの神である創造主を礼拝する時、全能なる主が、道をひらいてくださいます。私たちは、目がみえず、耳も聞こえない木や石で作った偶像の神を礼拝しているのではなく、この宇宙を創造し、地球上に無数のいのちあるものを創造され、私たちを神のかたちに創造された神を礼拝しているのです。きょうも、主に信頼しましょう。
清宣教師