イザヤ書38章と39章は、これまでの結論であるとともに、新しく始まる40章からの66章への序論となっていると言われています。主は南ユダ王国、その首都であるエルサレムを、アッシリアの敵の手から奇蹟をもって救い出されました。しかし、やがて、南ユダもバビロン帝国の手に落ちて、捕囚の民となります。なぜ、アッシリアから救い出された主は、バビロンからも救い出されなかったのか、その辺の背景となるものが、38章と39章に記されています。絶体絶命の危機の中で、主に対して忠誠を示したヒゼキヤ王ですが、この危機から救い出されたあと、サタンの誘惑の手に陥ってしまいます(39章)。さて、38章では、ヒゼキヤ王は、重病にかかります。預言者イザヤが、「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。」(1節)と主のことばを伝えました。しかし、ヒゼキヤ王は、大声で泣いて、延命を嘆願しました(3節)。そして、主はその祈りを聞かれて、15年の寿命を増し加えられました(5節)。それには、しるしとしての奇蹟も伴いました(8節)。ヒゼキヤ王は病気から快復した時、主への感謝の賛美を捧げました(9節―20節)。21節と22節は、本来、6節と7節の間に位置するものと考えられます。ところで、病気が癒されたヒゼキヤ王ですが、それについての解釈は、いろいろあります。ここでは私見を述べます。やはり、主の御計画は最善、最良であると思います。結果論ですが、ヒゼキヤ王は、奇跡的な癒しを体験して、どうやら、悪い方の意味で、自分は特別な存在であるとの思いが強くなったようです。その結果、39章に述べられているように、主に相談することなく、自分自身の判断でバビロンとの同盟に踏み切ったようです。しかも、この15年間に、ヒゼキヤ王にマナセが生れたようです。このマナセ王は、南ユダ王国で最悪の王であり、55年間も王でした。その在世中は、経済的な発展はもたらしましたが、あらゆる偶像礼拝を持ち込んで、南ユダ王国の滅亡を決定づけた人でした。このようなことから考えると、むしろ、主が最初に決められた時が、最良最善ではなかったかという思いが出てくるのです。ヒセキヤ王にとっては、宗教改革の王であり、自分の使命はまだ途上にあると考えての延命の嘆願でした。私たちも、自分自身の考えでは、まわりの状況が整っていないと判断するかもしれませんが、主のみこころが最良最善です。
聖書から教えられることは、次世代へのバトンタッチの時期のことです。ヒゼキヤ王は、自分がいま、宗教改革という大事業の途中であるから死ぬことは出来ないと判断しましたが、主のご計画は、次世代へバトンタッチすることであったと思われます。そういうわけで、私自身も、牧会と運営を次世代の牧師先生に委ねました。しかし、創造論宣教師としての働きとともに、牧師としての執り成しの祈りの働きは、生涯継続すべきであると理解しています(第1サムエル記12章33節参照)。
清宣教師