さて、主のしもべであるイスラエルの背信の罪をさばくために用いたバビロンに関する預言が続きましたが、きょうの48章では、再びイスラエルに対する預言が語られています。
1節‐11節のテーマはイスラエルの懲らしめです。「あなたが頑なであり、首筋は鉄の腱、額は青銅だと知っている」と主が語られています(4節)。それほど、イスラエルは、頑なで、偶像礼拝から立ち返ることをしない民となっていることを主は御存じなのですが、主はあわれみをもって、「新しいこと」、「知らない秘め事」を語ることにより(6節)、主が真の主であることを知らせ続けるとの決意を語っておられます。それは「わたしのため」、「わたしのため」と2回繰り返されています(11節)。イスラエルの民は頑なであり、悔い改めない強情な態度を変えていませんが、主は、ご自分の御名のために、イスラエルに語り続けると宣言されています。
12節―16節のテーマはイスラエルの救いです。主は改めて、ご自分が全宇宙を創造したお方であることを思い起こさせ(13節)、ここではクロス王という名前を挙げていませんが、イスラエルの民を必ず、バビロンから解放すると宣言しています(14節、15節)。
17節―22節のテーマは、イスラエルの贖いです。神の民として選ばれたイスラエルの民が、このような悲惨な状態にあるのは何故か? その理由はなにか? それはイスラエルの罪のゆえであり、もし、主のみことばに従いさえすれば、多くの祝福がイスラエルに与えられるはずだったことを思い起こさせています(17節~19節)。そして、頑なな罪ゆえに、バビロン捕囚という試練を与えられますが、主は必ず、イスラエルの民をバビロンの捕囚の地から解放すると預言しています(20節、21節)。かつてイスラエルの民が、エジプトから解放されたように、主はイスラエルの民を養うために奇跡をおこなわれると約束しています。しかし、悪者ども(偶像礼拝に頼る者)には、決して、祝福は与えられないことを宣言して閉じています(22節)。
今日の聖書箇所から教えられることは、主は、私たちに対して、私たちの益になることを教え、私たちの歩むべき道に導かれる神である、ということです。主は「あなたは私が形づくった。あなたはわたしもの。私の目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語られた主です。その愛は変わらず、その約束も変わりません。そのことばは、益であり、私たちを聖く傷のない者としようとの永遠の神の御計画に基づいたものです。わたしたちは、目の前の出来事に左右されたり、短絡的に、主の愛を疑ったり、主の真実を疑ったりしてはならず、永遠の主の約束を信じる必要があります。心を一新して、今朝、主に深く信頼しましょう。
清宣教師