イザヤ書50章です。きのうの49章14節に「シオンは言った。『主は私を見捨てた。主は私を忘れた』と。」記されていました。主の預言が成就して、やがて、南ユダの民がバビロン捕囚となり、エルサレムには住む人がいなくなり廃墟となった時、シオン(エルサレムの都をさす)は叫びます。「主は私を見捨てた、主は私を忘れた」、と。しかし、きょうの50章の冒頭で、主は「離婚状は、どこにあるか」と述べ、正式の離婚ではないことを明らかにしています。正式の離婚状を渡された妻は、夫のもとに戻ることは出来ませんが、離婚状を渡されていないのなら、いつでも、夫のもとに帰ることが出来ます。主は、偶像礼拝の罪にまみれたユダの民に、いつでも、悔い改めて主の許に戻ることを促しています。4節~9節は、しもべの歌(3番目)のとして知られています。平和のしもべ、積極的無抵抗のしもべです。救い主イエス様の姿が描かれています。10節以降、暗やみの中を歩き、光を持たないものは、主のしもべのメッセージに耳を傾け、主の御名に信頼し、神に拠り頼めと勧めています。自分に光がないと自覚する者は、主の救いの光のもとに歩きます。しかし、多くの者は、自分には光があるといって、頼りにならない自分の燃えさしに拠り頼み、主のしもべのことばを無視します。
今日の聖書箇所から教えられることは、私たちは、素直になり、自分自身には真の光がないことを認めることです。そして、主の救いの光の中に自分自身を置きましょう。きょうも、共に告白しましょう。「あなたのみことばは私の足の灯、私の道の光です」。
清宣教師