きょうも、なんと、素晴らしいみことばでしょう!!53章では主のしもべの苦難と贖いの働き、54章では救いの保証、そして、きょうの55章では、この救いへの招きです。冒頭、「渇いている者はみな、水を求めて出てこい。金のない者も。」と主が呼びかけておられます。砂漠のような乾ききった地で、水はまさに救いの象徴です。「お金を払わないで」とは、あらかじめ、神ご自身が、もうすでに、代価を払って下さったからという意味です。それは、ちょうど、両親が子供をおもちゃ売り場に連れて行って「好きなものを買いなさい」というのと同じです。ヘブル語の聖書では、1節の中で、「来い」が3回、「買え」が2回も出てきます。「さあ、来なさい。買いなさい。来なさい。買いなさい。来なさい」。神様は、この素晴らしい完成された救いへと招くために、心から、多くの人に呼びかけておられます。神様の深い愛に感謝します。さて、6節では、「主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ」と言われています。ふたつの面から言われています。まず、時間が限られていることです。だから、お会いできる今、求めるように勧めています。もうひとつは、距離が近いうちに求めよということです。聖霊様が近くにおられるうちです。聖霊様が離れ去ってからでは遅いです。いま、聖霊さまが共におられるうちに、主を呼び求めることです。聖霊なる神様によって、神様と交わるとき、そこに「平安」、「愛」、「喜び」があります。他にはありません。神様との交わりだけが、私たちの心に必要な「平安」、「愛」、「喜び」で満たしていただくことが出来ます。きょう、いま、恵みのときです。主の前に出て、水も穀物も葡萄酒も乳もいただきましょう。心を満たすものです。さて、10節と11節から、神のみことばの約束は、ちょうど、天からの雨が畑にしみこみ、作物を育て実を結ばせるように、私たちの心の畑にしみこみ、約束のことばを現実のものとしてくださいます。主のみことばをいただくなら勝利です。主のみことばは必ず成就すると約束されているからです。きょうのイザヤ書55章の個所を祈りつつ、注意深く、読み返しましょう。そして、主からのみことばの約束を受け取って下さい。
今日の聖書箇所から教えられることは、みなさんの心は良い畑です。13節に出てくる「いばら」や「おどろ」は呪いのしるしです(創世記3章18節参照)。しかし、皆さんの畑には、いばらやおどろの呪いではなく、主の祝福の象徴である「モミの木」や「ミルトス」が生える、と約束されています。信じて受け取りましょう。あなたの心には美しいモミの木やミルトスが生えるのです。主の約束のビジョンを心に描いてみましょう。天の父は、あなたが祝福を求めるのを待っています。
清宣教師