きょうは、イザヤ書56章です。53章では、主のしもべの十字架の苦難、54章、55章では主の勝利のみわざ、救いのみわざに預かる幸いを見てきました。きょうの56章では、この勝利と救いの幸いは契約の民であるイスラエルの民だけでなく、全世界に拡大するという預言がなされています。3節に外国人と出てきますが、ユダヤ教に改宗した異邦人のことです。ところで、宦官とはいわゆる宮廷に仕える去勢された男子の官吏のことです。これは明らかに創造の秩序に反する行為であり、申命記では主の会衆に加わってはならないと規定されています。宦官は、こどもを生むことができません。いわば、枯れ木のような存在です。しかし、主に連なる外国人も宦官も、契約の民同様に、いやそれ以上に、永遠のわけ前、さらに大きな祝福が約束されています。そして、彼らは、神の聖なる山にある祈りの家に導かれます。そこはすべての国民が集まる「祈りの家」です。そこは「楽しみ」の場所です。9節―12節は、一転して、南ユダの現状について語られます。獣とはイスラエルの敵国のことです。主にあって裁きのために集められます。見張り人とはイスラエルの預言者たちのことです。犬は牧羊犬のことです。敵が来たらワンワンほえる役目の犬です。しかし、見張り人も犬も、役立たずです。牧者とは、指導者たちです。彼らはみな、神の宣告に目をとめず、耳をふさぎ、自分たちの利得を求めて、「明日も今日と同じだ、いや、もっとすばらしい」と語り、神の裁きを無視しているのです。
今日の聖書箇所から教えられることは、7節です。主は私たち異邦の民であっても、主を信じる者なら、聖なる山に連れて行き、「わたし(主)の祈りの家」別名、「すべての民(万国)のための祈りの家」で楽しむようにされると約束されています。そこには「楽しみ」があります。私たちは、全世界に散在していますが、神の家族の一員です。御国の世継ぎの一員です。普遍的教会、そこは、中国や韓国やチベットやガーナやカナダ、あらゆる国のクリスチャンが祈っている、「祈りの家」です。みんな心を合わせて祈っています。私たちが祈る時、いつも主の約束を覚えて、主が備えて下さった「祈りの家」で祈ることをイメージしましょう。
清宣教師