エゼキエル書の4章1節~5章17節までは、聖都エルサレムの裁きに焦点が当てられていましたが、5章6章1節~7章27節では、裁きの視野がイスラエル全体の裁きに拡大されています。内容的には、イスラエルは偶像礼拝の罪のゆえに裁かれなければならないこと、その裁きとは、外国の敵の剣による裁き、国内では、疫病と飢饉による裁きであることが預言されています。この厳しい裁きを通して多くの民が滅びますが、しかし、偶像礼拝の罪を悔い改めて、創造主のもとに立ち返る残りの民も起こされることを示唆しています。主のことばどおりに全地に裁きがなされる時、ようやく、イスラエルの民は、イスラエルの神こそ、主であることを知るようになるとも預言されています。7章は「終わりが来た」という預言です。イスラエルの全地に終わりが来たことを告げる預言です。この預言は、実際にエルサレムが陥落する3,4年前に語られていることになります。ユダの指導者も民たちも、自分たちは神の選民であり、エルサレムは神の都であるという錯覚により、偽善的、形式的な主への礼拝を悔い改めることなく、安穏な暮らしをしていましたが、それゆえに神の裁きをうけることになるのです。預言の通り、エルサレムの神殿は破壊され、ユダの民は、剣、疫病によって倒れ、残された者もバビロンの捕囚の民となります。
清宣教師