さて、エレミヤ17章ですが、前半は詩の形式、後半は散文の形式になっています。前半は神様に頼らないで自分の力により頼む人間の愚かさと不信仰をテーマにしています。後半は、神様から与えられた安息日を大切に守らない不従順の罪がテーマです。1-4節:消すことが出来ない南ユダのひとたちの偶像礼拝の罪とその結果。5-8節:人間に信頼することの愚かさ、自分の考え、自分の力、自分の生き方を良しとして、神に背を向けて生きる人生の空しさ。それに対して主に信頼して生きる者の人生の豊かな実り。9-11節:人の心は、自分も、他人も図ることが出来ないほど邪悪で陰険である。しかし、人間を創造された主は、人間の心を正しく評価される唯一のお方である。12-18節:預言者エレミヤの祈り。滅亡の預言はしていても、一度たりとも、その破滅を望んだことはない、むしろ、民が悔い改めて立ち返り、罪が赦され、癒されることを望んだ。19-27節:律法に記されている安息日を聖別して守るなら、エルサレムは平安であり、王たちの生活も、民たちの生活も安定した生活を送ることが出来る。しかし、誰もそれを聞き入れなかった。だから、エルサレムは滅ぼされ、宮殿も、神殿も、火で焼き尽くされてしまう。
今日の聖書箇所から教えられることは、「主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。そのひとは、水のほとりに植えられた木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでの実をみのらせる。」(7,8節)という御言葉の約束です。主は生きておられます。主のことばも生きています。主のみこころに根を下ろして生きるなら、必ず、豊かな実をむすぶ人生となります。主に従います。
清宣教師