昨日の個所は、陶器師の家での出来事でした。陶器師が、ろくろの上にある粘土を自分の気に入るような形に造り上げます。気に入らないときは、粘土を潰して、もう一度、ろくろの上で作り直します。さて、今日の個所では、エレミヤは、ベン・ヒノムの谷に、民の長老たちと年長の祭司たちを伴って出かけました。そこは、陶器師たちが仕事場で思うように作れなかった器、つまり、仕損じだ器を捨てる場所でした。エルサレムの城壁の南側に沿って深い谷がありました。そこがベン・ヒノムの谷です。「瀬戸のかけらの門」の入り口から出かけました。民の長老たちと年長の祭司は、預言の際の証人としての役割を果たしてもらうためでした。そこで、エレミヤは、語りました。3節~9節の内容です。エルサレムの住民は、主の聖なる民でありながら、主の宮を汚しました。主の律法によって堅く禁じられていたにもかかわらず、バアルのために子供たちを全焼のいけにえとしたり、さまざま悪をおこない、主の聖なる神の宮であるにもかかわらず、もはや、偶像の宮とみわけがつかないほどにしてしまいました(4節、5節)。だから、トフェテとかベン・ヒノムの谷を呼ばれていたこの場所は、「虐殺の谷」と呼ばれるようになるのです。それは、彼らが子供たちを虐殺した場所であり、それゆえに、彼らも、敵の手によって剣によって倒され、虐殺された死体が、葬られることなく、谷に満ちるからです。このエルサレムの町は、主なる神によって裁かれたことが、ハッキリとわかるように、彼らは自分の息子や娘の肉をたべるほどに窮乏すると宣告しました。10節―13節:エレミヤは、一緒に行った長老たちや祭司たちの前で、陶器師の器が砕かれると、二度と直すことが出来ない。そのように神の作品、神の民であるエルサレムの住民たちは、悪を行い、天の万象を拝み、ほかの神々を拝んだので、もはや、二度と直すことが出来ないほどに砕かれる。エルサレムの住民たちは、あまりにも多くの者が死ぬので、トフェテのようになる。つまり、死んだ者の骨で汚されるところとなる(列王記、第2、23章10節参照)。14節:ベン・ヒノムの谷から、エルサレムの主の宮に帰ったエレミヤは、主の宮の庭に立ち、そこで礼拝に来るすべてのものに、主のことばを語った。「この町と南ユダの町々に告げた裁き、すべての災いをもたらす。お前たちはみな、うなじのこわいもので、主のみことばに従って悔い改めず、主に立ち返らなかったからである」さて、このように語ったエレミヤは、そのあと、どうなったのでしょうか? それが明日の個所です。
今日の聖書箇所から教えられることは、主が語られるみことばに、心と耳を傾けなさい、というメッセージです。主のみことばは、私の足の灯、私の道の光です。私たちは、天の父の子どもです。私たちの身体には御子イエス・キリストの血が流れています。私たちの心は、聖霊様の喜び、愛、平和によって満たされています。
清宣教師