きょうの21章のテーマは、8節の「見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く」のみことばです。時代は、ゼデキヤ王の治世の時(1節)ですから、もうバビロンのネブカデネザル王が、エルサレムを包囲していた時ではないかと想像されます。つまり、ダビデ王朝が滅亡し、エルサレムも滅亡する寸前の頃です。ゼデキヤ王は、主の預言のとおりに事態が悪化する中で、ようやく、預言者エレミヤのもとに、パシュフルや祭司を遣わしました。しかし、時すでに遅しです。しかも、それは信仰に基づくものではなく、主のみこころに沿うものではありませんでした。悔い改めの実が伴っていなかったからです。もはや、神の裁きは避けられないことになりました。ただ、その裁きを、謙遜に、主からの裁きとして受け留めて、素直にバビロンに降伏するなら、いのちは助けるとの約束がなされました。一方、バビロンに降伏しないなら剣と飢饉と疫病で死ぬことになると宣言されました。それしか、助かる道は残されていないことを宣言されました。いのちの道か、死の道か、いのちの道を選びなさいと語られました。
今日の聖書箇所から教えられることは、私たちは狭い門から入り、細い道を歩んでいる者たちです。永遠のいのちに至る道を歩んでいます。だから、どんなことがあったとしても、信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を放すことなく、忍耐をもって歩み続けることが出来ます。
清宣教師