おそらく、22章の時代背景は、南ユダ王国の末期であると思われます。1節―9節:王への警告:エレミヤは王の家に下って神のことばを語るように命じられました。神殿から王宮に下って、エレミヤは、神のことばを王に語ります。公儀と正義を行い、かすめられている者を、虐げる者の手から救い出し、在留異国人、みなしご、やもめのような弱い立場にある人たちを大事にするように、もしそれを聞いて実行するなら救われるが、聞き従わず、実行しないなら必ず廃墟となると厳しく警告しました。10節―12節:エホアハズ王について:死んだ者(10節)とはエジプトの王と戦って戦死したヨシヤ王のことである(列王記、第2、23章24節―37節参照)。ユダの王シャルム(11節)は、エホアハズの幼少の頃の名前である。エホアハズ王は、エジプト王によって幽閉され、再びエルサレムに戻ることはなかった(11,12節)。13節―19節:エホヤキム王について:南ユダの民たちが、エジプトの支配下で大変な苦しみを味わっている時、エホヤキム王は、自分の宮殿を増築するために、重税を課したり、自分の利得のために民を虐げた。それゆえ、神に裁かれ、死体は野ざらしにされる、とエレミヤは警告した。しかし、エホヤキム王は、その警告を無視したので、その通りに成就したのである。20節―23節:近隣諸国の捕囚預言:ユダの周辺の同盟諸国もバビロン捕囚となるとの警告の預言がなされた。24節―30節:エホヤキン王について:24節~27節は、エホヤキン王についての預言である。エコヌヤ(24節)はエホヤキンのことを指す。彼は神の代理者(24節)であっても、バビロン王の手に渡される(25節)。彼は捕囚の地に連れ去られ、再び、故郷に帰ることはない。その預言の通りに、エホヤキン王には7人の息子がいたが、その中から王位継承者は出ず、4百年以上続いたダビデ王朝は絶えた(30節)。
今日の聖書箇所は、王の名前が、ころころ代わること、名前が似ていることなど、一見すると分りにくい内容になっています。まさに、南ユダの国の末期、ダビデ王朝の末期の特徴は、王が、3ヶ月とか、短い期間で、コロコロ変わることです。
今日の聖書箇所から教えられることは、国として公正と義が行われなければ、国は亡びるということです。日本の国が公儀を行う国として存続できるように、祈りましょう。
清宣教師