さて、きょうの25章ですが 、すでに、みなさまお気づきのように、エレミヤ書は歴史的な出来事の流れに沿っては書かれていません。時系列の順序になっていないので、注意が必要です。今日の25章は、昨日の24章よりも、時間的には早い時期の出来事です。1節。ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの治世第4年、バビロンの王、ネブカデレザルの治世第1年、つまり治世の元年となります。B.C.605年のことでした。これはどんな時期かといいますと、それより7年前(BC612年)、アッシリア大帝国が滅び、南にあるエジプト帝国が世界制覇を狙って北上してきました。南ユダの王のヨシアが、エジプトを迎え討ちに出ましたが、あえなく、戦死し、南ユダはエジプトに屈服しました(BC609年)。そして、ヨシアの子のエホヤキム王の治世第4年、エジプトの大軍とバビロンの大軍が、カルケミシュでぶつかりました。そして、バビロンの王、ナボポラッサルが勝利しました。このあと、エジプトは衰退の一途をたどることになります。ナボポラッサルはまもなく死に、ネブカデレザルが王となりました。今日の25章の1節の時期は、まさに、このネブカデレザル王の治世の元年の出来事です。ユダの民全体に対して、エレミヤは主のことばを語りました(1節)。ユダの民全体とエルサレムの住民に語りました(2節)。振り返ると、エレミヤがヨシヤ王の第13年目に預言者として召されてから23年の歳月がたっていました。この23年間、エレミヤは民たちに語り告げてきました(3節)。また、神様は、モーセ、サムエルなど、多くの預言者を通して、歴史の流れの中で、イスラエルの民たちにずっと、語りかけてきました(4節)。さて、預言の大要ですが、偶像礼拝をやめて、生けるまことの神に立ち返り、みことばに従いなさい、というメッセージです。しかし、どうしても、悔い改めて神に立ち返ろうとしないので、裁きがあたえられます。それは、北のバビロンによって南ユダが滅びるというものです(9節)。しかし、バビロンで約70年の捕囚ののち、南ユダの民は、故郷エルサレムに帰還するようになるとの預言です。つまり、まだ、それが起こる、はるか前から預言していたということになります。15節―38節は、全世界への裁きです。まず、裁きはエルサレムから始まり、それが、南のエジプト、そして、北の方の諸国へと拡がって行きます。なお、これらの裁きは、憤りの盃、火、若獅子などに例えられています。
今日の聖書箇所から教えられることは、主のことばは必ず成る、ということです。世界の情勢は、聖書の預言通りに動いています。福音宣教が前進するように祈りましょう。
清宣教師