43章では、カレアハの子のヨハナンたちは、エレミヤはバルクにそそのかされて、自分たちをバビロンの手に渡して、自分たちを死なせようとしているのだ。だから、自分たちはエジプトに行くと応答しました(43章1節―3節)。しかも、南ユダに残っていたすべての民と預言者エレミヤとバルクも拉致して、エジプトの地に強制連行したのです(43章4節―7節)。彼らが、エジプトの支配下にあるタフパネヘスの町に入った時、エレミヤは、主のしもべであるバビロンのネブカデレザル王を用いて、エジプトを打つという預言をしました(43章8節―13節)。
今日の個所を読まれた皆様は、とてもつらい気持ちになったのではないでしょうか。預言者エレミヤは、彼らの求めに応じて彼らの真の幸福のために、主の前に執り成し祈り、最も必要なみことばを語ったにもかかわらず、「あなたは偽りを語っている」と偽預言者よばわりされたのです。しかも、結局、主のみこころではない、と語ったエジプトへと強制連行されるようなかたちとなったのです。
今日の聖書箇所から教えられることは、主に従うなら、必ず、良い報いを受けるということではなく、この世では真逆の扱いを受けるということがあることです。それは人の目には、あたかも神に見捨てられているようでも、じつは、神に忠実な人の生き方なのです。ヨブ記にしるされている主人公のヨブもそうでした。しかし、ヨブの場合は、この地上の生涯の後半に2倍の祝福を受けました。しかし、エレミヤは何も祝福を受けませんでした。それはまさに、イエス様のご生涯そのものでした。イエス様は、その最後に、偽メシヤとして、十字架につけられたのです。しかし、イエス様は天に戻られて栄光をお受けになりました。エレミヤも、天の御国において、特別の報いを受けたに違いありません。わたしたちも、救いの福音を伝えたにもかかわらず、真逆の態度で対応される時があります。エレミヤは、涙の預言者でした。天の御国でエレミヤにお会いできることは、大きな励ましです。
清宣教師