1:テコアは地名で南ユダの南部の町、北からの災い、バビロンの軍勢が南下してエルサレムを破滅させ、彼らは南へ南へ逃げるが追い詰められる様子を描いている。2,3節:平和の牧場に例えられているのは南ユダの民のこと。4,5節:「 」の中の言葉は敵の言葉である。彼らはイスラエルの軍勢を打ち負かし、連戦連勝で進軍している。だから、「日が傾いて戦いが出来ないのが残念だ」という。だから、「夜も攻め上り宮殿を滅ぼそう」と言い合っている。6節:塁とはエルサレムの城壁を包囲する軍勢が城内の様子を監視するために建てる高いやぐら、物見台のこと。7節:井戸のたとえは、エルサレムの住民たちの罪は、外から強制されたものではなく、井戸の水のように彼らの内側から湧き出たものであり、自分から悪を行っている様子を表している。8節:審判は下っている。9節:農民が味の良い実を無駄にしないように、しっかり摘み取るように、主も、南ユダの中の残りの民を、しっかり、摘み取ってくださる(守って下さる)。10節、11節:預言者エレミヤのことばである。だれも、主の預言のことば、警告のことばに耳を傾けない、その状況を見て、憤りが満ちて耐えられない。我慢できない。だから、子も、老人もみな捕えられる。13節:身分の高い者から低いものまで、利得を得ることが第1の目標となっている。また、預言者も祭司も、「平安だ。平安だ」と偽りを述べている。15節:罪があるのに恥じることがない。16節:四つ辻と訳されている原語は、道の複数形である。つまり、彼らの前にはいくつかの道がある。その中で昔から歩んできた道(主との契約の道)を選ぶように勧めたが、かれらはその道を選ぶことを拒んだ。17節:見張り人(預言者)のことばを拒んだ。19節:彼らは神のみことばに耳を傾けないので彼らの企みの実を刈り取ることになる。20節:彼らは主への儀式のために遠くインドやアラビヤ半島の地から乳香や香りのよい菖蒲を携えて神殿にくる。しかし、その生活が悪に染まっているので、そのいけにえは受け入れられない。22節:北の地:バビロンの地。バビロンの軍勢が南ユダを海の水のように覆い、滅ぼし尽くす。26節:荒布をまとい、ひとり子を失った両親のように、真に嘆け。破滅が来るからだ。27節:主はエレミヤに語られる。「わたしはあなたを南ユダの民を試すもの」とした。つまり、預言者のことばを聞いて従うなら、それは主なる神に従うこと。しかし、預言者のことばを聞かず、従わないなら、それは主に従わないことになる。つまり、エレミヤに対して、南ユダを試す役割を果たすように命じている。28節―29節。銀のような鉱石は、るつぼの中で、ふいごで吹いて高温にして溶かして、不純物を取り除いて純粋の銀が得られる。しかし、どうしても、不純物が除かれないものは「廃物の銀」として役に立たないので捨てられる。同じように、主なる神は、火の試練を通して、南ユダの民の中から悪を取り除こうとされたが、南ユダの民はそれを拒んだので、役立たずの銀として捨てられてしまう。
今日の聖書箇所から教えられることは、主のみことばに素直に聞き従うことの大切さです。主なる神は、私たちが主の道に立ち返るように、試練を与えられます。そのとき、私たちが素直に聞き従うなら、私たちは主からの救いを得ることになるのです。
清宣教師