旧約聖書の最後の章であるマラキ4章の冒頭は「見よ。」という宣言で始まっています。必ず、「主の日」が来ます。それは、主が火によって裁きをなされる日です。悪の実も根もみな、焼き尽くされる日です(1節)。悪が根絶される日です。新約聖書の中でも、繰り返し言及されています。イエス様も語られました。『のろわれた者ども。わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。』(マタイ25章41節)。今、悪は放置されているように見えますが、必ず、主によって悪が根絶される時がくるのです。一方で、キリストの来臨の時は、「義の太陽が上る日」でもあります。さまざまな苦しみや圧迫の中にある神の民たちが癒される日です。彼らは、この世を支配するサタンの束縛から解放されて、あたかも、牛舎の子牛のように跳ね回るのです。子牛を見た事はありませんが、私は子羊が文字通り飛び跳ねている姿を見た事があります。地面から高く飛び跳ねる姿は忘れることが出来ない光景でした。長いつらい苦悩の時が終わり、主によって癒され、主の栄光を喜び楽しみ、飛び跳ねる時がくるのです。その足は、サタンを踏み砕く足となります。5節では、1節の「見よ」が繰り返されています。主の最初の来臨の前に、預言者エリヤの霊をもつバプテスマのヨハネが遣わされたように、「主の大いなる恐ろしい日」と呼ばれるキリストの再臨の日には、エリヤがその先駆者として来ることが預言されています(5節)。彼の使命は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせることでした。つまり、家族や民族の間で愛と一致の絆を回復し、また、天の父なる神との絆を回復することです。
いま、まさに私たちの時代、夫婦の絆、家族の絆がとても危うい状態になっています。終わりの時代の特徴です。預言者エリヤの働きを切に必要としています。私たちひとりひとりをエリヤの霊によって満たしてください。ご家族の上に、御父の愛、御子の恵み、御霊の交わりが絶えることなく留まりますように。
清宣教師