さて、アモスの最後の章となりました。第5番目の幻です。1節、祭壇のかたわらに立っておられる主の幻でした。しかし、この神殿も、激しい地震により柱が倒れ、砕かれ、神殿全体が倒壊するのです。幻とはいっても、主が語られたことがほぼすべてを占めています。1節―4節の主の言葉を見ると、へブル語の原文では、「もし」ということばが5回も繰り返されています。1、もし、よみに隠れても、2、もし、天に上っても、3、もし、カルメル山頂に隠れても、4、もし、海の底に隠れても、5、もし、敵のとりことなって行っても、必ず探し出して裁くという宣言です。5節―6節は、頌栄です。創造主なる神をほめたたえています。アモス書では3回目の頌栄です。7節―12節は、やはり罪を犯した王国(北イスラエルの王国)に裁きを下すこと、直接的にはアッシリアによる捕囚の裁きを宣言しています。イスラエルの民をふるいでふるい、預言を無視した民は剣で死ぬが、預言者を受け入れたものは救われます。さてアモス書の結びの部分(13節―15節)ですが、主は預言者を通して、神の厳しい裁きがあることを予告されますが、ここでは、主の憐みにより回復の時がくるとの約束がなされています。主の恵みにより回復された時には、あまりにも多くの収穫があるので、収穫の作業が長引き、種まきの季節まで続くことが描写されています。種まきのために耕す者と収穫物を刈り取る者が、隣りあわせに作業するのです(13節)。もの凄い祝福です。そして、約束の地に植えられたイスラエルの民は、二度を引き抜かれることはないと約束されています。主に立ち返るなら、たとい失敗したとしても、必ず主が介入して下さり、私たちの失敗をも益に変えてくださいます。きょう、心に気がかりなことがあるなら、全能なる主に祈りましょう。主は、「わたしの民の繁栄を元どおりにする」と宣言されます。今、直面している問題の解決を主に委ねます。
清宣教師