さて、エゼキエル書25章ですが、今日から32章までは、周辺の諸国民に対する宣告が続きます。25章では、1節―7節が、アモンに対する宣告、8節‐11節が、モアブに対する宣告、12節―14節が、エドムに対する宣告、15節―17節が、ペリシテに対する宣告となっています。
エゼキエルは妻の死に際して、エルサレムに対する最後の預言をしましたが(24章19節ー24節)、そのあとは沈黙しました。つまり、このあとはエルサレムは、もはや、悔い改めて滅亡を免れる道は閉ざされたということです。そして、その後の3年間、エゼキエルは、諸外国に関する預言をしました。そのあと、エルサレムから滅亡を知らせる使者が到着して、初めて、エルサレムについて口を開き、回復の預言を語り始めます(24章26節―27節参照、33章以降)。1節~7節:アモン人は、ヨルダン川の東岸に住む民族で、アブラハムの甥のロトの末裔とされている民族です。首都ラバは、ラクダの住まいとなり、アモン人の地を羊のおりとする(25章5節)との預言がなされました。つまり、東の人々(アラビア砂漠の遊牧民)が乗り込んできて、アモン人の地に住んでしまうという預言です。8節~14節:モアブとエドム(セイル)に対する預言がなされています。彼らはイスラエルの民を、「神の民などと言っても普通の民と変わりがないではないか」とののしりました。それに対して、主は裁きを下されます(11節、14節)。15節~17節:ペリシテ人に対する裁きの宣告です。ペリシテ人はイスラエルが落ち目になったのをみて、それに乗じて復讐しようとしたのです。それで、主はペリシテ人に対して裁きを下されます。
今日の個所は箴言24章17節のみことばを思い起こさせます。そこには、「あなたの敵が倒れる時、喜んではならない。彼がつまずくとき、あなたは心から楽しんではならない」と言われています。敵であっても、決して、「ざまあみろ」というように、敵の災いを喜んではならないのです。やはり、他山の石として、自分たちも同じ過ちを犯さないように学ぶ姿勢が求められています。新約聖書には、次のように書いてあります。「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはならない」(ローマ12章14節参照)と記されています。主は憐み深いお方です。その子供として、私たちも憐み深いものとなるように主は願っておられます。
清宣教師