今日の28章では、ツロの王とシドンに対する宣告が記されています。まず、ツロの王に対する預言ですが、ふたつに大別すると、2節~10節までが、自分を神の座において高ぶったツロの王に対する宣告です。11節~19節までが、ツロの王のための哀歌となっています。当時のツロの王は、イトバール二世でした、その名前は、「神ご自身」を意味するものでした。ここには、ツロが自分の知恵と美によって高ぶる姿が描かれています。ツロは、「あなたが造られた日から、あなたに不正が見出されるまでは、完全だった。あなたの商いが繁盛すると、あなたのうちに暴虐が満ち、あなたは罪を犯した。」(15節、16節)と記されています。このツロの王に関する記述の中で、12節~19節の内容は、この地上のツロの王の記述にしては、あまりにもそぐわないので、これらの記述(12節―19節)は、その背後にあって糸を引いている、かつて天使長のひとりであり、ケルブと共に神に仕えていたルシファーが反逆して、堕落した天使たちの長(サタン)となったことを描写していると解釈する注解者が多いように思われます。直接的にはツロの王の繁栄と没落を、かつてのエデンの園におけるアダムになぞらえて描写していますが、同時に、天使長ルシファーの堕落を描いていると思われます。
20節~23節は、シドンに対する宣告です。シドンはツロと並ぶフェニキヤ人の港町で、ツロの北方35キロの海岸線上にありました。主はシドンに疫病を送り込み、四方から剣で攻めると予告しています。なぜ、イスラエルへの帰還の預言の直前にシドンへの裁きの預言がなされているかというと、おそらく、イスラエルが捕囚から解放されてイスラエルの地に戻る(24節~26節)場合、その途上にあって最大の障害がシドンであったからではないかと思われます。そのシドンを主が裁かれるので、無事にイスラエルの民は、捕囚の地からイスラエルへと帰り、イスラエルの地に安らかに住み着くというのです。今日の聖書箇所も、「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」(箴言16章18節)のみことばを思いださせる出来事です。
清宣教師