エゼキエル書35章ですが、イスラエルの滅亡を喜んだエドムに対する審判の預言です。内容的には、25章の諸国民に対する預言の中ですでにエドムについて言われたことと変わりません。それなのになぜ、イスラエルについての回復の預言シリーズ(33章~48章)の中で、エドムへの宣告が取り上げられているのか、その理由は、おそらく、イスラエルの民がエルサレムに帰還しようとしているとき、脅威となるのがイスラエルの地を占領しようという野望をもつパレスチナ周辺の国々でした。エドムはその中でも代表的な存在でした。それで主は預言者に対して「セイルの山」に向かって預言するように命じ、そこに住みついているエドム人たちに対して裁きの宣告をなされたと考えられます。
エドムはイスラエルの滅亡の日に、イスラエルを剣に渡した民(5節参照)でした。また、これら二つの民(北イスラエルの民と南ユダの民)、ふたつの国(北イスラエル王国と南ユダ王国)は、われわれのものだ。これを占領しよう、と言った民(10節)でした。そして、イスラエルの家の相続地が荒れ果てたのを喜んだ民(15節)でした。主はこれらのことを覚えておられるので、エドムを裁きのもとに置いたのです。こうすることで、イスラエルの民はエルサレムに帰還して、再建に取り掛かることが出来るのです。
主はあらかじめ、障害物を取り除き、私たちの前にある青銅の扉を打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折り、道を拓いて下さるのです。
清宣教師