昨日の43章では、栄光の主が、神殿に帰って来られたという素晴らしい幻でしたが、今日の44章の1節―3節では、栄光の主が東の門を通って入られたので、この門は普段は閉じたままにするように、そして、唯一、君主だけがその場所でいけにえの食事をとるために、そこに入るのを許されました。4節―9節では、外国人が排除されています。10節―14節では、レビ人が神殿奉仕者また門衛としての責務を果たすように命じられています。15節―16節では、祭司の中でもツァドクの子孫だけが、祭司として聖所の奉仕をすることが許されました。17節―19節では、祭司の衣服は亜麻布で作られるべきことが命じられています。20節―27節では、祭司は、頭をそることの禁止、ブドウ酒を飲むことの禁止、そのほか、祭司として聖なるものと俗なるものを区別するように命じられています(23節)。28節―31節では、彼らの相続地は、主ご自身であると規定されています(28節)。
全体をまとめてみますと、主なる神は、イスラエルの過去の堕落の原因となった要因をひとつひとつ排除して、イスラエルの民が再出発することにより、永続的に主に仕えるためのアドバイスを与えています。特に、神の民たちを指導する祭司たちに対しては、神ご自身が彼らの相続地となるという特別の約束をして、彼らが忠実に仕える時に豊かに報われることを約束しています。主ご自身が、祭司たちを養うので、祭司たちは自分の土地も財産も必要ないと言われているのです。
私たちクリスチャンも、聖なる祭司であると言われています(ペテロの手紙、第1,2章5節参照)。そして、イエス様は、「衣食住など、私たちの生活に必要なものはすべて与えられるのだから、あなたがたは神の国とその義とをまず第1に求めなさい」と命じておられます(マタイの福音書、6章33節参照)。とくに、新約聖書では、クリスチャンに対して、以前の自己中心の古い自分の生き方を捨てて、一瞬一瞬、聖霊による新しい生き方を選び取るように命じておられます。わたしたちは、御国の子として、世に証しするのです。
清宣教師