45章の後半に続いて、46章では、新しい君主のつとめ、特に捧げ物についての務めが記されています。
46章1節―15節では、君主の礼拝の仕方と捧げ物の規定がしるされています。君主は、安息日や新月の祭の日には、外庭の門の玄関の間から入り、捧げ物を祭司たちに渡して、君主自身は内庭の門の戸口のところに立って礼拝するように命じられています。君主であっても、内庭の門の敷居のところまでは許されていますが、内庭に入ることは許されていません。そして、4節―7節まで、君主が捧げるべきいけにえについて記されています。9節では一般の人が例祭の日に礼拝する時は、北門から入ってきた人は南門から出るように、南門から入ってきた人は北門からでるように命じられています。君主の場合は、東門から入り、東門から出ていくことが許されていますが、例祭の日は、君主も一般の人たちと行動を一緒にするように命じられています(10節)。
46章16節―18節では、君主の相続に関する規定がしるされています。君主の息子たちは、父親から土地を贈り物として受け取ることができますが、それは定められた君主の土地に限られていました。また、君主が息子ではない奴隷に土地を贈る場合は、永久の相続権ではなく、一定期間の借地権だけが与えられ、7年目あるいは、50年目のヨベルの年には、返還することが定められていました。こうして、君主の土地は、相続権のあるもののために保護されていました。一方、君主は、君主の土地ではない一般の人の土地から所有権を奪うことは禁じられており、民たちの相続権が保護されています。
46章19節―24節では、祭司たちがいけにえの肉を調理する台所について記されています。神殿は、祈りのため、そして霊的な活動のための場所ですが、一方で、いけにえを捧げ、調理し、食べる場所でもありました。そのための部屋が用意されていました。
旧約聖書の時代における過ぎ越しの祭に見られるように、家族のために捧げられた子羊の肉は、家族みんなで残すところなく食べるように命じられていました。新約聖書の時代の主の晩餐でも、イエス様のからだを象徴するパンを食べるように命じられています。主が定められた犠牲に与ることはとても重要な意味をもっていました。共に食事をすることは、当時、契約の最も大事な部分でした。主との和解を実感するときでした。
清宣教師