さて、昨日の3章に続いて、ネブカデネザル王は、シャデラク、メシャク、アベデネゴのいのちをかけた証しを通して、神の御使いを見ることが出来、生ける神のみわざに驚嘆しました。そして、その驚きと喜びを、バビロン帝国と属国に対して、信仰告白のかたちで、公けに、伝えました(1節―3節)。「ネブカデネザル王が、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに書き送る。あなたがたに平安が豊かにあるように。いと高き神が私に行われたしるしと奇蹟とを知らせることは、私の喜びとするところである。そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇蹟のなんと力強いことよ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。」ところが、このあとの夢の解き明かしの場面(8節)において「彼の名は私の神の名にちなんで」と記されています。ダニエルがバビロンでつけられた新しい名前「ベルテシャツァル」のことで、バビロンの国家神、ベルの名前に由来するものです。そのあと、ネブカデネザルは、彼には「聖なる神の霊があった」と付け加えています。これらのことから分ることは、ネブカデネザルの信仰というのは、主を認めるけれども、それは、偶像の神々に、もう一つの神を加えるような信仰であったことが分ります。さて、ネブカデネザルは、夢を見ました(10節―17節)。ダニエルはその夢の解き明かしをしました(20節―27節)。それはネブカデネザル王に対して、高ぶりを戒める夢であり、警告の夢でした。ネブカデネザル王は、その戒めを尊重したようですが、それはわずかの間でした。12か月後のことです(29節)。ネブカデネザル王は、バビロン帝国の隆盛を誇り、「大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか」、私の、私の、私が、・・・と私を3回、強調しています。それで、主の裁きがあり、理性を失い、宮廷から追放され、獣のような生活をしていました。しかし、神に定められた裁きの時が過ぎた時、理性が戻り、再び王位に就くことが出来ました。37節、ネブカデネザル王は、「高ぶって歩む者をへりくだった者とされる」と告白しています。
これまでの聖書のお話しを読むと、異教のバビロンの王、ネブカデネザルが、神に愛されている姿が浮かびます。怒りたけるようなネブカデネザル王でしたが、単純で、素直な所もありました。何度も、主からの夢を見たり、奇跡としるしをみたり、警告のことばを受けたりしています。私たちも、創造主を知らず、まことの神を知らない人間でしたが、主の恵みによって、主の救いの中に導き入れられました。きょう、私たちに出来ることは、主の前にへりくだることです。聖霊様は、私たちの喜びです。聖霊様は、私たちの慰め、力、導き手、助け手、知恵となってくださるお方です。
清宣教師