ホセアは北イスラエル王国のヤロブアム2世の時代に活躍した預言者です。同時代に預言者アモスもおりましたが、お互いに言及したことはありません。ヤロブアム王の治世が40年にも及ぶので、それぞれの活躍の時期がずれていたのかもしれません。ホセアの預言は、ヤロブアム王の末期から北王国がアッシリヤによって滅ぼされる頃までの期間に、語られたものと考えられています。一方、アモスの預言は、ヤロブアム王の全盛期に語られたと考えられます。
ホセア書は大別してふたつに別れます。1章―3章は、ホセアの結婚生活を通して示された啓示です。そして、4章―14章が、多くの審判のことばを含んだ詩的な言葉を集めたものです。今日の1章では、ゴメルとの結婚と3人の子供たちの誕生を記しています。これらの期間、6,7年の歳月は過ぎていたと思われます。ホセアが預言者としての働きに召されて、初めに聞いた主のおことばが「姦淫の女をめとれ」(2節)というものでした。信じられないような内容でした。しかしそれは主に背いてカナンの偶像やバアルの偶像礼拝にあけくれていたイスラエルの姿を象徴するものでした。しばらくして、二人の間に子が生れました。「イズレエル」と名付けるように主から命じられました。イズレエルはサマリヤとガリラヤの高地に挟まれた肥沃な平野の名称であり、その東の端に「イズレエル」という町がありました。オムリ王朝のとき、ここは北イスラエルの第2の首都となりました。エフーがオムリ王朝を倒した時、流血の町となりました。「エフーの家」とはエフー王朝のことであり、エフーからゼカリヤまで5代続きました。「イスラエルの家の王国を取り除く」と言われていますが、エフー王朝の最後の王ゼカリヤの死から、北イスラエル王国の首都であるサマリヤの陥落、北イスラエルの滅亡まで、あと30年に迫っていました。「イズレエルの谷でイスラエルの弓を折る」とは軍事力の崩壊をさしています。これは実際には、紀元前732年に、アッシリヤのティグラテ・ピレセル3世がアラムとイスラエルを攻めたときに成就しました。エフー王朝最後の王ゼカリヤの死から20年後のことでした。(昨日までのダニエル書は、南ユダ王国の崩壊のあと、バビロン捕囚の時代のことですから、今日のホセア書は、ダニエルの時代より歴史を200年くらい、さかのぼることになります)二番目の子は女の子で「ロ・ルハマ」と名付けるように命じられました。「ロ」ということばは、ヘブル語では、「否定することば」です。ロ・ルハマとは、ルハマ、つまり「あわれみを受ける」ということばを否定する形です。本来、親から受けるあわれみ、いつくしみを受けることがないという意味です。神は北イスラエルを滅ぼされるが、南ユダは残されます(6節、7節)。3番目の子は、男の子で「ロ・アミ」と名付けられました。アミとは私の民という意味なので、ロ・アミとは、「私の民ではない」という意味になります。主はもはや北イスラエルの民をご自分の契約の民とは認めないということを意味しています。
次に1章10節~2章1節までがひとつのまとまりです。ここでは、前の預言とは一転して、イスラエルの人々の数が無数に増えることを預言し、「わたしの民ではない」という宣告が、「あなたがたは生ける神の子らだ」と言われるようになるという約束の預言です。そして、南ユダと北イスラエルの2部族が再びひとつに統合されるという預言です。「イズレエルの日」とは、「イズレエル」の本来の意味である「神が種蒔く」という祝福のことばとして用いられています。兄弟、姉妹とは、北イスラエルと南ユダをさしており、いずれも、分離している12部族が再び、統合される日が来ることを預言するものです。そして、これはただ、主の恵みによるものです。悔い改めに関する言及は一言もなく、ただ一方的な主の恵みによるわざであることが示されています。
清宣教師