1節―3節:北イスラエル(エフライム)は、自分の考えで造りだした偶像を礼拝していました。それは空しいものでした。それで、偶像を信頼する者は、偶像と同じように空しく消え去るのです。4節―13節:主なる神は、エジプトからイスラエルを連れ出し養いました。しかし、イスラエルが成長し繁栄し生活が安定すると、今度は自分勝手な生き方を求めて主に背を向けるようになりました。それで、主はイスラエルを敵の手に渡しました。そうすれば、イスラエルは悔い改めて、これまでの生き方を180度転換して、主の許に帰るはずだったからです。しかし、悔い改めて、新しく生まれ変わるチャンスを逃し、「時が来ても、彼(新しい子)は母胎から出で来ないのです」(13節)。14節:たとい、彼は生まれ変わらず、死ぬべきものになったとしても、最後には、主はイスラエルを解放し、死から贖いだすと言われます。15節―16節:しかし、いまは、エフライムは、この世で栄え、高ぶり、自分の力、軍事力、強国に頼って生きる道を選び続けています。だから、砂漠から吹いてくる東風がすべての作物を枯らしてしまうように、主は東風(アッシリアのこと)を用いて、エフライムを枯れさせるようにします。そして、サマリヤ(北イスラエルの首都)は刑罰を受けるのです。以上です。
主は生きておられます。空しい偶像(ある人物、財力、優れた計画など、人間が考えて造りだしたもの)に頼るのではなく、天地万物を創造された全能なる神、いつも生きて働いておられる主に頼りましょう。人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつのことばによって生きるのです。神は生きておられます。その口から出ることばは、いのちのパンです。
清宣教師