主なる神は、もうすでに離別していた娼婦ゴメルを、再び、買い戻すように命じられました。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。」そこでホセアは銀十五シェケルと大麦一ホメル半でゴメルを買い取りました。つまり、合法的に、きちんと代価を支払って、ゴメルを買い戻しました。大麦1ホメル半は、ほぼ、銀15シェケルに相当する現物返済ということで、総額30シェケル程度の代価を支払って買い戻したことになります。そこで、ホセアは、ゴメルに言いました。「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう。」ホセアの家庭の中で家事をしながらとどまりなさいということです。こうして、ゴメルは妻としてもう一度、迎えられるということです。しかし、そのためには姦淫したりしないようにある程度の準備の期間、二人で準備をするのだというのです。その期間を通じて、もうほかの男と姦淫をしたりしないようにするというのです。3節、イスラエル人も、その歴史を振り返るとき、イスラエルは、主ではなくて、王に頼り、軍事力に頼り、偶像に頼ってきたので、それで、主はこれらのものをすべて取り去られるのです。そうして、準備の期間を通じて、5節:その後、「イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう」、と宣言されました。ちょうど、ホセアが、ゴメルを買戻し、さらに妻として迎えるために、ある程度の準備期間を設けましたが、それと同じように、主の妻である主の民が、主以外に頼ってきたすべての王、軍事力、偶像を失うというのです。その準備の期間というのが、バビロン捕囚の期間なのです。バビロン捕囚を通して、イスラエルの民は、王を失い、軍事力を失い、偶像を失うのです。しかし、これは災いではなく、もう一度、主の妻として、主に迎えられるための準備期間だというのです。なんという、人間の思いを超えた、素晴らしい恵みでしょうか。主を信じ、主に信頼し、私たちの人生を生きることの素晴らしさを思います。
清宣教師