一般の歴史によると、ヘロデ大王はローマ皇帝によって紀元前40年にユダヤの王に任命されました。そして、紀元前4年に死亡しました。きょうの2章1節にはヘロデ王の時代と記されていますから、現代の学者は、イエス様の誕生は紀元前6年~4年ごろと考えています。御存じのように、紀元前と紀元後という歴史を二分する出来事とは、イエス様の誕生でした。紀元前(B.C.)とはBefore Christ(英語でキリスト生誕前)、紀元後(A.D.)とはAnno Domini(ラテン語で主の年)のことです。でも、残念なことに、計算上のミスがあったようで、ずれてしまいました。しかし、それも主のご計画のうちにあったことと思います。さて、東方の博士とありますが、バビロンあるいはペルシャから来たと考えられています。不思議な星を見て、ユダヤ人の王の誕生の知らせであると理解しました。そして、はるばる、ユダヤ人の王にあうためにイスラエルの国にやってきました。ヘロデ王もエルサレムの人たちも、これを聞いて恐れました。何しろ、ヘロデ大王は自分の王位を守るために、不安の材料はみな消し去る人物であり、自分の妻と3人の息子たちをも猜疑心のゆえにみな殺してしまった男です。ヘロデだけでなく、エルサレム中の人たちも、何か悪いことが起こるに違いないという異様な雰囲気に包まれました。ヘロデは、博士たちの質問にこたえるべく、祭司長や律法学者たちを集めて、メシヤはどこで生れるか問いただしました。彼らは、旧約聖書の預言からベツレヘムの地に生れるはずであるとヘロデに答えました。ヘロデはそこで博士たちに、何食わぬ顔で『幼子のことを詳しく調べ、分ったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから』と命じました。もちろん、これはその幼子を殺そうという魂胆でした。一方、博士たちは星に導かれて、無事、母マリヤと共におられるイエスのもとにたどり着き、黄金、乳香、没薬を捧げました。そのあと、夢を通して、ヘロデの所には帰るなという神の警告をうけたので、別の道から自分たちの国に帰りました。時が過ぎても、博士たちの報告がないので、ヘロデは自分が騙されたことを知り、幼子に関する博士たちの情報を分析して、ベツレヘムに兵士を送り、2歳以下の男の子たちを皆殺しにしました。ヘロデは、自分が最初に博士たちを騙したにもかかわらず、自分が騙されたと知った時、その怒りは収まらず、逆上しました。人間の罪の性質が如実に示されています。さて、主の使いは、ヨセフに夢を通して、危険を知らせ、エジプトに一時的に退去させました。そして、しばらくして、ヘロデ大王が死んだのち、主の使いはヨセフに対して、イスラエルの地に帰るように命じました。最終的に、辺境の地であるガリラヤのナザレの村に、身をひそめるようにして生活の場を定めました。
今日の個所から、東方の博士たちの態度に学ぶことが出来ます。まず、みちびかれるままに旅をしました。「求道」のステップです。次に、キリストに出会いました。「信仰」のステップです。そして、ひれ伏して拝みました。「礼拝」のステップです。最後は、宝の箱をあけてキリストに捧げました。「献身」のステップです。このように、私たちは、あるステップから次のステップへと成長する必要があります。私たちも、アップグレードの道を歩みましょう。
もうひとつは、3種類の人々が登場します。第1に、ヘロデ大王です。キリストの福音を聴いても反感を抱き、抹殺しようとします。第2に、祭司長や学者たちです。聖書のみことばや預言に関する知識を持っています。しかし、知識として知ってはいても、具体的な生活の上で行動することがない人です。第3に、異邦人の博士たちです。求道し、信じ、礼拝し、献身しました。みことばの知識は少なかったのですが、主の導きに自分たちの生活をかけて、素直に従いました。私たちは、この博士たちの歩みのように、少ないみことばの知識でも、主から示されたことに誠実に応答するものでありたいと思います。主が私たちひとりひとりを、みことばや夢や幻を通して、危険な道から遠ざけ、主のみこころの道に導いて下さいますように。
清宣教師