さて、きょうの2章1節―5節では、権力者たちの罪を糾弾しています。権力のある者たちが考えることは、その権力を利用して、貧しいものや弱い者たちから、土地を奪い、自分達の財産を増し加えることでした(1節、2節)。しかし、土地は創造主なる神が、民たちに相続地として割り当てた者であり、勝手に奪い取ってはならないものでした。しかし、支配者たちは、主のみこころを無視して、自分達の財産を増し加えることしか考えませんでした。主は、当然、これらのものを裁かれます(3節)。持てば持つほど欲しくなるのが人間の欲望です。十戒にも「むさぼってはならない」とあります。
6節‐11節では、預言の真偽についての論争です。預言者ミカは大胆に主のことばを宣言しますが、権力者たちは、たわごとを止めよといって、ミカの預言をやめさせようと圧力をかけてきました。それに対して、預言者ミカは、「たわごとを言っているのは私ではなくそちらではないか」(6節)といって、やり返しました。そして、預言者ミカは、主を信じて歩む者に対して、「さあ、立ち去れ。ここはいこいの場所ではない。ここは汚れているために滅びる。それはひどい滅びだ」(10節)と語りました。12節、13節では、一転して、散らされていた全イスラエルの民がやがて一つに集められるという祝福の約束を語りました。罪の報酬は罰であり、それを避けることはできませんが、どんなに状況が悪化しても、主の回復の計画も成就されること、主が彼らの真っ先に進まれることを宣言しています。
こうして第1部(1章と2章)、裁きと約束が閉じられています。ついで3章から5章までが第2部、苦しみを超えた希望、6章と7章が、第3部、罪に対する恵みの勝利となっています。
最後に、今日の個所では、「自分たちの手に力があるからだ」(2章1節)のことばが心に残りました。力があることは願わしいことのようですが、それを正しく用いるのはとても、難しいことです。私たちも、スケールは異なりますが、主から与えられた力があります。どんなに小さな力でも、正しく用いることが求められています。私たちのうちには、神のかたちが内包されています。神様も、そして、まわりのひとも、みんな私たちを見ています。小さなことに忠実である者には、大事をまかせよう、というのが主の計画です。小さな点でも忠実にすることが主のしもべです。それが主の栄光をあらわすことです。
清宣教師