3章では、「聞け」と言って、預言者ミカは、イスラエルの首長たちに語っています(1節)。腐敗は地主や金持ちだけでなく、王侯貴族、裁判官などの司法や行政などにおいて重要な地位を占める者たちにまで及んでいました。本来、彼らは主の律法の代行者として、公儀を行うべく任命された者たちです。しかし、彼らは善を憎み、悪に走る者となっていました。『人々の皮をはぎ、その骨から肉をそぎ取り、・・』と描写されるほど、残虐非道な行為をしていたようです。それゆえに、主は彼らの祈りには答えないと宣言されました(4節)。一方、宗教的指導者である預言者も、富裕層の者たちと同じように、自分の利益になれば平安や安全や繁栄や成功などのことばで祝福し、報酬を払えない者には恐れと戦いを宣言するありさまでした(5節、6節)。それゆえ、偽の宗教家たちは、主の裁きをうけなければならないと宣言されました。一方、預言者ミカは金や欲望のためではなく、大胆に彼らの罪を指摘する真の預言者でした(8節)。「シオンは田畑となり、エルサレムは廃墟と化し、神殿のあったところも木が茂る森の丘となる」(12節)という聖都エルサレム滅亡の預言は、このあと、100年を経て、バビロン捕囚が目の前に迫ってきたとき、エレミヤの口を通して引用され、反復されました。この預言者ミカを通してのエルサレム滅亡の預言はミカの時代のヒゼキヤ王の心を動かして宗教改革を行わせました。また、100年後には、民の手によって処刑寸前だった預言者エレミヤのいのちを救いました(エレミヤ書26章1節―19節、とくに18節―19節参照のこと)。
預言とは前もって書かれた歴史である、とも言われています。私たちの目の前の出来事、あるいは、ニュースとして飛び込んでくる事件など、いろいろありますが、私たちにとって最も信頼すべきことは、神の預言のことばです。必ず、この世は正される時がきます。報いがきます。その中で、死に至るまで忠実であった者には、確かないのちの冠が与えられます。現在の状況に飲み込まれることなく、主のみこころがなるように、共に祈りましょう。聖霊様があなたのパートナーです。どんな状況にあっても、御霊の実をむすびましょう。愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和自制・・・御霊の実で対処するようになれたら、霊的に成長している証拠です。今でも高い目標を目指しましょう。そして、主に栄光をお返ししましょう。
清宣教師