3章の1節―14節は、主の日のユダの解放と諸国民への審判です。つまり、「主の日」の2面性について前述しましたが、諸国の民が裁きをうけるとき(1節~14節)、一方でイスラエルの平和が保証されるのです(15節~21節)。前半の諸国民の審判では、とくにフェニキヤのツロとシドン、さらにペリシテが取り上げられて、主の審判がくだされることが記されています(4節~5節)。さらに、彼らの悪事の中でとくに、ユダとエルサレムの人たちをギリシャに奴隷として売り飛ばした罪状が取り上げられています。ツロとシドンは地中海貿易の中心地であり、奴隷売買も盛んでした(6節~8節)。9節~14節は、諸国民に対してヨシャパテの谷における聖戦に集まるように命じています。これは巡礼のためではなくエルサレムを滅ぼすために武装して戦いのために集まるのです。しかし、そこで主は、最終的に、すべてのイスラエルの敵を一掃するというのです。15節~17節は、エルサレムを攻撃している諸国の民が、主によって完全に滅ぼされる情景を繰り返し、こうして、エルサレムは再び、敵の手によって攻撃されることはなくなるのです。18節~21節は、ユダとエルサレムの復興を約束する主のことばです。ヨエル書の1章~2章で、イナゴの大群によって荒らされた地が、再び豊かな地になるという約束です。イナゴによって表現された敵たちが、主の介入によって一掃され、こうして、エルサレムは永遠の安住の地となるのです(20節)。それは、主がシオンに住まわれるからです(17節)。主がおられるところに平和があります。祝福があります。きょう、主よ、私たちと共にいてください。
韓国と日本の間に紛争をもたらそうと働くサタンの計略が打ち砕かれますように。日韓両国の相互の理解、確かな絆を築き上げることが出来るように、関係者一人一人を導いて下さい。
清宣教師