堤防を われひとり行く 秋の暮れ    

きょうも、笊川の堤防の散歩道を歩いた。
夕暮れも迫り、ただひとりであるいた。
「われひとりなり」では、寂しさが漂うので、あえて「行く」とした。
こうすれば、自分一人でも、自分の意志で歩くという前向きの気持ちも表現できると考えた。
人生の秋の暮れでもある。
使命を果たすためには最後まで歩き続ける、との表現である。