①天からのしるし(1節~4節):さて、イエス様の一行がガリラヤ湖を渡って帰ってくると、パリサイ人やサドカイ人たちが、待ち構えていたかのようにイエス様のところにやってきました。サドカイ人とは、ユダヤ人のひとつの党派で、経済的には裕福で、貴族階級に属する人たちでした。信仰の内容としては、パリサイ人とサドカイ人とは対立していましたが、イエスに反対するという点では共同戦線をはっていました。彼らは「天からのしるし」を見せて欲しいと主張しました。あれだけの奇蹟の数々を見ていながら、それらは悪霊のしわざである、と勝手に解釈して、イエスがメシヤであることの証拠を見せて欲しいと詰め寄ったのです。イエス様は、それに対して、「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません」と言われて、論争を打ち切りました。ヨナのしるしとは、三日三晩、預言者ヨナが海底の魚の腹の中に閉じ込められていたように、イエス様も墓の中に、三日三晩、閉じ込められる、というしるしでした(12章40節参照)。そして、それは文字通り、成就しました。
②パン種についての注意(5節~12節):イエス様は弟子たちを連れて、再び、ガリラヤ湖の向こう岸へと移動されました。そのとき、弟子たちの心の中にあったことは、パンを忘れてきたことでした。イエス様は、「パリサイ人たちやサドカイ人たちのパン種に気をつけなさい」と言われました。そこで、弟子たちは、自分たちがパンを持ってこなかったからだ、と考えて、誰の責任なのか議論を始めました。そこで、イエス様は、それは食べるパンのことではなく、パリサイ人やサドカイ人の教えのことであると気付かせました。パン種は、少量でもパン全体を膨らませる力をもっています。同様に、パリサイ人やサドカイ人たちの教えが入ってしまうと、人々の間に急速に広まり、大きな悪影響をもたらすので、注意する必要があると言われたのです。
③ピリポ・カイザリヤにおける弟子たちの信仰告白(13節~20節):ピリポ・カイザリヤの地方に着かれると、イエス様は弟子たちに質問されました。「人々は人の子(イエス様のこと)を誰だと言っていますか」。そこで、弟子たちは「バプテスマのヨハネ」、「エリヤ」、「エレミヤ」、「預言者のひとり」と噂されていることを、イエス様に伝えました。すると、今度は、イエス様は「あなたがたは、わたしを誰だと言いますか」と質問しました。それに対して、12弟子たちを代表して、ペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです」と答えました。イエス様は、ここまで弟子たちと寝食を共にしながら、宣教旅行を続けてきました。そしてついに、弟子訓練の分岐点に到達しました。「あなたこそ生ける神の御子キリストです」という弟子たちの信仰告白に辿り着いたのです。これはまた、天の父なる神が示されたことを弟子たちが受け留めたことを示すものでもありました。そこで、イエス様は、この信仰告白の岩の上に、わたしの教会を建てると宣言されました。カトリックの教会では、ペテロを土台として教会を建てあげる、と解釈しますが、プロテスタントの教会では、ペテロの信仰告白を土台として建てあげる、と解釈しています。カトリックの教会では、ペテロが天の御国のカギを持つ者と解釈し、その後継者がローマ教皇であると解釈します。プロテスタントの教会は、ペテロ個人ではなく、イエス様の弟子たちに与えらえたものと解釈しています。なぜなら、18章18節では、同じ約束が弟子たち全員に与えられているからです。
④十字架の苦難についての第1回の予告(21節~28節):さて、イエス様は、弟子訓練がひとつの分岐点に差し掛かり、それをパスしたので、いよいよ、これまで封じてきたイエス様の十字架の受難について、明らかにされました。それを聞いたペテロは早速、イエス様に反対しますが、イエス様はその反対に対して、「下がれ。サタン」と言い返されました。十字架の苦難はメシヤとして避けることが出来ない道なのです。同様に、イエス様に従う弟子たちも、自分を捨て、自分の十字架を負ってイエス様についていく必要があるのです。
以上です。今日は、いよいよ、弟子としての心構えが明らかにされました。自分の十字架を負い、そしてイエス様について行くのが、弟子としての道なのです。
清宣教師