主にすがり 何とか耐える 今日もまた

 

今日も心を決めて午前中も午後も安静にしておりましたけれども、なかなか高熱が下がらず、体調も回復しないのでご奉仕のキャンセルも仕方がなかったのかと思いました。主はいたずらに私たちを苦しめるお方ではありません。ですからすべての試練には目的があります。今回その目的を考えました。祈りは機械的に主の名を呼び求めるのではなく、主と私たちとの間の人格的な交わりの中にあって捧げるべきものであるとの反省をしました。最近機械的な祈りが多かったように思いました。もう一つは、自分は苦しみや苦悩に遭っている方々に対する同情や理解が薄かったのではないかという反省でした。