今日の7章の出来事について、その背景を紹介します。イエス様のガリラヤ地方での宣教が力強くなされ、その噂は遠く首都のエルサレムの宗教指導者の耳にも達するようになりました。宗教指導者たちは、国会の議員でもあったので、地方の出来事に関心をもっていました。そこで、パリサイ人と律法学者からなる調査団が、この地方に派遣されてきました。ある意味、国会調査団のようなものでもありました。マルコの福音書3章22節にも、すでに、エルサレムから下ってきた律法学者たちがいたことがしるされていますが、こちらの方は、個人的な調査であったようです。今日の個所の7章1節に記されている調査団は、公式のものであり、多人数であったと思われます。そして、イエス様に対して、なぜ、あなたの弟子は汚れた手でパンを食べているのかと詰問します。しかし、イエス様は、逆に、パリサイ人や律法学者たちは、神の教えを守っていると言いながら、神のことばをないがしろにしている偽善者であると厳しく糾弾されました(1節―23節)。さて、24節では、地中海沿岸の都市、ツロの地方に行かれたことが記されています。ツロは異邦人の土地です。また、31節に記されているシドンも、デカポリスも、異邦人の地です。その意味は、イエス様は、国会調査団の追及に対して、堂々とお答えになりましたが、それは、真偽を明確にするものでした。それで、律法学者やパリサイ人たちの反対運動がますます盛んになるのは明らかでした。しかし、イエス様にはまだまだなすべき使命が残されていました。それで、ユダヤの地ではなく、いったん、国外というか、異邦人の地に行かれることで、パリサイ人や律法学者との対決を避けられたようです。そして、反対者の気勢をそいでから、ガリラヤ地方に帰り、宣教を再開されるのです。もうひとつの意味は、パリサイ人や律法学者たちが、汚れたことを避けることにより、自分たちを義とするという偽善に陥っており、とくに、汚れた異邦人(異邦人はみな汚れているとみなしていました)に触れないことにより、義としていました。それに対して、イエス様は、みずから、異邦人の地へ入って行かれました。そして、癒しと解放のみわざをなされました。パリサイ人や律法学者たちの偽善を明らかにされました。異邦人の地へ逃れたことのもうひとつの側面でした。イエス様のおことばだけでなく、行動そのものが父なる神のみこころを表すものでした。

清宣教師