今日の6章も、イエス様の歩まれた道の後をついて行ってみましょう。まず、郷里での宣教活動です(1節~6節)。イエス様は郷里でも福音宣教の働きを始められました。しかし、郷里の人は、イエス様の知恵や力あるわざに関心をもち、結局、イエス様が伝えようとした福音の神髄を理解しようとはしませんでした。あくまでも同郷である大工のせがれ、イエスという出自にこだわり、イエスを神から遣わされた器であることを認めようとしませんでした。その不信仰の結果、イエス様は神の御子としての力あるわざを何一つ行うことができませんでした。イエス様は、彼らの不信仰に驚かれました。次に、12弟子たちの派遣です(7節~13節)。今度は近くの村々で福音を伝えるために、12弟子たちを派遣しました。諸注意を与えられたのち、汚れた霊を追い出す権威を授けてから、弟子たちをおつかわしになりました。諸注意の内容は、第1に神を信頼すること(8節、9節)、第2に人を信頼すること(10節)、第3に、結果はすべて神にゆだねること(11節)でした。さて、:バプテスマのヨハネの死は、多くの人を動揺させました(14節~29節)。イエスに対する関心が高まるにつれて、イエスとはバプテスマのヨハネのよみがえりである、と信じる人たちが出てきました。中でも、ヘロデ王は、よこしまな人物で自分の誕生祝の日に、ほんの座興としてバプテスマのヨハネの首をヘロデヤの娘に褒美として与えた人物でしたが、自分がした悪行の裏返しとして、「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ」という恐れにとらわれていました。さて、12弟子たちは、イエス様のもとへ戻り、自分たちの宣教の報告をしました。そこで、イエス様は12弟子たちの労をねぎらい、少し休みをとるように勧めました。ところが民衆たちは、弟子たちの先回りをして、待ち構えていました。イエス様は、それをご覧になり、民衆たちが羊飼いのない羊のようであるとして深く憐れみ、民衆の深い餓え渇きをいやすために、神の御国の福音を宣教されました(30節~44節)。しかも、1日中、語り続けられました。そして日も暮れ、めいめいが食べるものを買い求めることができるように、民衆を解散させようと12弟子たちが提案しました。しかし、イエス様は、民衆の心だけでなく、肉体の餓え渇きを満たすために、5つのパンと2匹の魚を用いて、男だけで5千人(女、こどもを含めれば1万人くらい)の食事を準備してくださいました。50人、100人のグループに分かれての食事会です。このパンの奇跡を通して、「人々はみは、食べて満腹した」(42節)と記されています。しかも、その食べ残りは、12の籠にいっぱいになったのです。主がなさる奇跡は、半端ない!ハレルヤ!

さて、イエス様は、パンの奇跡をなさったあと、12弟子たちを「強いて船に乗り込ませ」、その場から追い出されました。それは、パンの奇跡を体験した民衆たちが、イエスをイスラエルの王として担ごうという事件が起こったためと考えられます(ヨハネの福音書6章15節参照)。イエス様は山に登り、ひとり祈られました。そして、真夜中、イエス様はガリラヤ湖の上を歩いて、向こう岸にわたる予定でした(45節~52節)。しかし、弟子たちがイエス様のお姿を発見して「幽霊だ」と叫び始めたので、船に乗り込まれました。それら一切の出来事は、神の御子として奇跡でしたが、まだ、弟子たちはパンの奇跡から悟ることをせずに、ただただ、驚きで満たされていました。そして、ゲネサレの地に着くと、人々は病人たちを担架にのせて運んできました。村でも町でも、大勢の病人たちがイエス様を求めてやってきました。そして、イエス様はそれに応えて癒しのわざをなされました(53節~56節)。

主イエス様は、人々の求めに対して、惜しみなくお与えになるお方です。

清宣教師