イエス様は以前(5章参照)、ある男の人生を強い力で支配し、滅茶苦茶にしていた悪霊(レギオンという名前でした)を追い出されました。その男は、悪霊を追い出し、自由にして下さったイエス様の弟子になり、イエス様のあとについていきたいと願いました。しかし、イエス様は、イエス様のあとについてくることを許されず、故郷であるデカポリスに帰り、神様がどんな偉大な御業をなしてくださったかを宣べ伝えるように命じられました。この男は、イエス様のみこころに従い、イエス様の御名を町中の人々に宣べ伝えました。その影響は大きなものでした。

イエス様が今回デカポリスの地方に来られた時(7章31節参照)には、大勢の群衆がイエス様の話を聞きに集まりました。そして、すでに3日間も経っていたのですが、誰も家に帰るものもなく、イエス様の話を聞いていたのです。そこで、イエス様は弟子たちに、彼らに何か食べる物を与えたいという相談をしました。弟子たちは、結局、こんなへんぴなところで、パンを手に入れるのは無理です、と答えました。本当は、イエス様は、先のパンの奇蹟では男だけで5千人(女や子供を含めると1万人を超えていたと推測されます)の群衆を養ったのですから(6章34節―44節)、今回は弟子たちの方から、信仰をもって、イエス様にパンの奇蹟をふただび行うように提案することができたはずです。また、イエス様は、そのような答えを弟子たちに期待して、質問されたのだと思われます。しかし、今回も、弟子たちの答えは、「このへんぴなところで、どこからパンを手に入れて、この人たちに十分食べさせることができるでしょうか」という信仰によらないことばでした。

それでも、イエス様は弟子たちを叱ることもなく、「パンはどれくらいありますか」と尋ねられ、「7つです」という弟子たちの答えに、群衆を地面に座らせるように命じられました。そして、再び、パンの奇蹟を行われました。今回の奇蹟でも、人々のお腹を単に満たすだけではありませんでした。人々が満腹するまで、パンの奇蹟を行われたのです。しかも、食べ残りが7つの籠に集められました。その後、この出来事に関連して、船の中でのイエス様と弟子たちの問答について記されています。イエス様は弟子たちに対して「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種に気を付けなさい」と言われました。これを聞いた弟子たちは、残りのパン籠をもってくるのを忘れたので、誰が忘れたのか、などといって原因を追究して論議していたのかも知れません。イエス様はそれに気づいて、「なぜ、パンがないと言って議論しているのですか?5千人に5つのパンを取り上げて裂いたとき、パン切れを集めていくつの籠がいっぱいになりましたか。4千人に7つのパンを裂いてあげたときは、幾つの籠がいっぱいなりましたか」と弟子たちに尋ねました。そして、イエス様は、「まだ悟らないのですか」とダメ押しの質問をされました。そこで、弟子たちは、はじめて、パン種とは、パンの事ではなく、パリサイ人たちの偽善、ヘロデ党のものたちの考え方を指していることを悟ったのです。

パンの奇蹟の記述について、ある人たちはこれは一つの出来事を記したのではないかと考える人たちがいます。しかし、このパンの奇跡は、明らかに2回起きたのです。マルコは、6章30節―44節において男だけで5千人を養ったと記しています。きょうの個所では4千人を養ったと記しています。しかも、余ったパンの量は、前回は12かご、今回は7かごにいっぱいでした。この籠ということばは、日本語では同じ「籠」ですが、ギリシャ語では異なります。前回の12かごの場合は、「カフィノス」ということばで、柳の枝で編んだ堅い籠でした。今回の7かごの場合は、「スプリス」ということばで、棕櫚や葦の葉で編んだ柔らかい籠です。ですから、同じ奇跡ではなく、別々の奇蹟について記したのです。なお、今回のパンの奇跡の意味は、昨日の7章26節からの続きです。つまり、パリサイ人や律法学者が汚れたものとしていた異邦人の地に、イエス様は行かれました。そして、まさに、その異邦人の地で、4千人の人たちを養うパンの奇蹟を行ったのです。ですから、6章の前回の奇蹟とは意味がことなるのです。前回は、イエス様が創造主であることを示す奇蹟でした。今回は、異邦人への恵みを示す奇蹟でした。

私たちのもっているものは、5つのパン、あるいは7つのパンかも知れません。しかし、そのような小さなものでも、4千人、5千人の必要を満たすものへとイエス様は変えて下さいます。イエス様が祝福して下さるなら、私たちの持っている小さなものでも、多くの人の役に立つことが出来ます。しかも、あふれるほどに、用いて下さるのです。「イエス様、きょう、私たちの持っている小さなものを、祝福して、人々の必要を満たすものとしてください。」

清宣教師