さて、きょうの15章は、イエス様の受難の個所です。逮捕と大祭司による尋問の一夜を経て、夜明けになると、全議会が招集され、イエス様は縛られて、ローマ総督のピラトのもとに引き渡されました。ピラトは、祭司長たちが訴えた罪状に対して、イエス様の中に罪を認めることができず、イエス様を釈放しようと努めましたが、祭司長たちは群衆を扇動して、イエス様の釈放ではなく、十字架による処刑を要求させました。そして、遂には、暴動になりそうなのをみて、ピラトは、イエス様を十字架につけるため、引き渡しました。イエス様はムチ打たれ、嘲弄され、イバラの冠をかぶせられ、十字架を背負わされました。しかし、体力の低下が激しく、途中で、ローマの兵士は群衆の中の屈強な男を見つけ出し、イエス様のかわりに十字架を背負わせて、ゴルゴタ(訳すと、どくろという場所)に連れて行きました。イエス様は、午前9時に、十字架に架けられました。道行く人は、イエス様をみて嘲りました。そこには同時に、イエス様を真ん中にして、左と右に、強盗たちが十字架に架けられました。祭司長や律法学者たちは、イエス様を嘲弄し、ののしりました。二人の強盗も、一緒になって、イエス様をののしりました。しかし、イエス様は、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分らないのです」と天の父に向かって祈りました。そうこうするうちに、やがて、真昼の12時になりました。すると、突然、全地が暗くなりました。暗闇が全地を覆いました。二人の強盗のうちのひとりは、十字架に架けられているイエス様のことばと態度を見ていて、悔い改めへと導かれました。ルカの福音書23章39節~43節に、その出来事が記されています。そして、イエス様は、午後3時に、大声で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。全人類の罪を背負い、父なる神との無限の断絶を覚えた瞬間でした。しかし、最後に、「テテレスタイ」訳すと、「完了した」と大声をあげて、息を引き取られました。イエス様は、十字架の上で、全人類の顔と永遠の地獄の苦しみを見たのかもしれません。その全人類のために、ご自分がその罪を背負い贖われるという、ご自分の使命を覚えて、最期の時まで耐え忍ばれたのです。そして、その贖罪のわざを完了されたのです。「テテレスタイ」ということばには、「罪の負債は、完全に帳消しにされた。完済された!」という意味もふくまれています。それらのすべての出来事を目撃した、イエス様の処刑の現場責任者であったローマの100人隊長は、「この方はまことに神の子であった」と告白せざるを得ませんでした。イエス様は最期の瞬間まで、証しをされたのです。このとき、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けました。この神殿の幕とは、聖所と至聖所を隔てる幕でした。つまり、神と人とを隔てる幕が取り除かれたのです。罪ある者が、イエス様の十字架の贖罪により、聖なる神の前に立つことが出来る道が開かれたのです。イエス様こそ、唯一の道であり、真理であり、いのちです。

清宣教師