きょうの個所は、最初のクリスマスの出来事が記されています。旧約聖書の中で予言されていたベツレヘムの町で救い主がお生まれになるという出来事は、歴史を支配される主の御手のなかで成就することになりました。当時のローマ皇帝のアウグストから勅令が出されました。ローマの支配下にあったユダヤの人たちも、その勅令に従い、住民登録をすることになりました。マリヤの婚約者のヨセフは、ダビデの家系であったので、ダビデの町(ベツレヘム)で登録の手続きをすることになりました。それで、ガリラヤのナザレの村から婚約者のマリヤを伴ってベツレヘムの町に向かいました。ベツレヘムの町に着くと、町全体が住民登録のために帰郷したひとでごった返していました。ヨセフは、身重のマリヤのために、一所懸命、泊まるところを探しました。ところが、すべての宿屋から「満員です」と言って締め出されてしまいました。しかし、いよいよ、マリヤの陣痛も始まり、必死で宿屋の主人に頼んだ結果、家畜小屋なら空いているよ、という返事をもらいました。そこで、ヨセフは、宿屋の地下の岩をくりぬいた家畜小屋に入りました。「メ~」と羊の声がするかと思えば、「モ~」という牛の声がします。時々、「ドドド」と糞尿を流す家畜もいます。糞尿の臭いが立ち込めます。そんな中で、産婆さんの手伝いもなく、ヨセフがお産の手伝いをしました。そこにはベビーベッドなどはありません。あるのは冷たい石で作った飼い葉おけだけです。何とか、無事に産まれた赤ちゃんをヨセフは、その家畜小屋にあった布切れでくるんで、藁を敷き詰めた飼い葉おけの中に寝かせました。一説によると、当時、家畜小屋に保管してあった布切れは、死者の埋葬用の布であったと言われています。ある意味、神の御子であるイエス様の誕生は、十字架の死を予告された誕生であったと言われています。生まれた時から、イエス様は「世の罪を取り除く子羊」としての使命を帯びていました。一方、夜を徹して羊の番をしていた羊飼いたちがいました。そこに天のみ使いたちが表れて、神の御子イエス様の誕生を高らかに賛美しました。羊飼いたちは、主の栄光に包まれて恐れましたが、み使いたちのメッセージを聞き取りました。それは「きょうダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」というものでした。その子が約束の御子であるというしるしは、飼い葉おけに寝ておられる、ということでした。当時の世界でも、家畜小屋の飼い葉おけで産声を上げている赤ちゃんはひとりもいませんでした。これは確かなしるしです。羊飼いたちは、間違うことなく、ベツレヘムの町の家畜小屋を探しあて、飼い葉おけに布でくるまれて寝ている救い主イエス様を見出すことができました。それで、マリヤをはじめ、近くにいた人たちに、み使いが現れて、語られたメッセージを伝えました。さて、両親は生まれて八日目に幼子に割礼を施すことになり、エルサレムの神殿に連れて行きました。そこで、シメオンという敬虔な老人、それに年老いた女預言者アンナからそれぞれ、この幼子こそまぎれもなく約束の救い主であることを告げられました。それから12年、イエス様が12歳の時、過ぎ越しの祭りのために両親に連れられてエルサレムに上京した時のエピソードが記されています。イエス様の少年時代の数少ないエピソードです。そして、「イエスはますます知恵が進み、背丈も大きくなり、神と人とに愛された」という少年時代の要約で閉じられています(52節)。今回、この聖書個所を読んで、全世界のすべての幼子の上に、神の恵みがあるように共に祈りたい、と強く願わされました(40節参照)。

清宣教師