2章の出来事から、およそ18年後、イエス様が30歳を迎えられたころの出来事です。祭司ザカリヤ(1章5節参照)の子であるヨハネ(別名、バプテスマのヨハネ)に神のみことばが与えられました。つまり、ヨハネは預言者として召されました。そのヨハネが、ヨルダン川のほとりにあるすべての地域で、罪が赦されるための「悔い改めのバプテスマ」を宣べ伝えました。その時は、よくわかりませんでしたが、後になり、バプテスマのヨハネは、イザヤ書に予言されていた「荒野で叫ぶ者の声」としての役割を果たしていることが次第に明らかになっていきます。ヨハネのメッセージは単純明快で、各自が罪を悔い改めるなら、その悔い改めの実を実生活で示すようにとのメッセージでした。「それでは私たちはどうすればよいでしょう?」という群衆の質問に対して、「下着を2枚持っているなら、その1枚を1枚も持たない人に分けてあげなさい。食べ物も同じです」と指示しました。取税人や兵士たちにも、それぞれ、具体的にどのように生活すべきかを示してあげました。とても力強いメッセージでした。何故なら、バプテスマのヨハネ自身が、そのような生活を実行していたからです。民衆たちは、神のことばを真っすぐに語るバプテスマのヨハネのことを、約束の救い主ではないかと期待するようになりました。それに対して、バプテスマのヨハネは、否定しました。自分ではなく、自分の後に来る方があり、その方こそ、聖霊と火によるバプテスマを授けてくださる約束の救い主であると預言しました。ヨハネは、そのほかにも、神のことばを伝え、福音を知らせました。そして、バプテスマのヨハネは、真っすぐな人であったので、その当時の国主であるヘロデに対しても、自分の兄弟をめとることは律法を破るものであると指摘し、そのほかの数々の悪事を指摘しました。その結果、国主ヘロデは、バプテスマのヨハネを捕らえて、牢に閉じ込めました。一方、バプテスマのヨハネが捕らえられる前のことですが、イエス様は群衆に混じってバプテスマのヨハネからバプテスマ(浸礼)を受けました。そのとき、天から聖霊が鳩のような形をしてイエス様の上に下りました。そして、天の父なる神から声がかかりました。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」。こうして、父なる神と聖霊によって、神の御子であることが証しされました。イエス様は、公に宣教の働きを始められたとき、およそ、30歳でした。これは旧約聖書の中に出てくる神に仕える祭司たちが、公に祭司として働きにつくことができる年齢(30歳)と関係があるのかもしれません。いずれにせよ、イエス様は、公の宣教活動に入られる前、マリヤとヨセフの家族の長男として、おそらく、早く亡くなったヨセフに代わって、大工の仕事をして、弟や妹たちを養ったと考えられます。(もちろん、実際の血のつながりはありませんが、主のご計画の中でマリヤとヨセフの家族の長男として置かれた環境の中で、その義務を果たされたと考えられます)。それらの義務を果たし終えて、いよいよ、公の宣教活動を開始されたものと思われます。さて、ヨセフは、ダビデの家系であることは、すでに2章4節に記されていますが、今一度、ヨセフの家系について、詳しく、記載しています。どんどん、先祖をさかのぼっていくと、ダビデの子(31節)、さらにさかのぼるとノアの子(36節)、そして、ついに、アダム(38節)に至ります。そして、このアダムは、神の子であったと結論付けられています。私たち日本人も、先祖をさかのぼると、必ず、ノアの子(36節)、そして、アダムの子(38節)、そして神の子に至ります。神のみこころは、すべての人が神の子となることでしたが、全人類は創造主に背を向けて罪の道をあゆみ、神の子として身分を失ってしまいました。しかし、父なる神は、ひとり子であるイエスを遣わして、全人類の罪を贖ってくださり、神の子として回復される道を開いてくださいました。イエス・キリストこそ、全人類の救い主です。

清宣教師