イエス様の一行は、カペナウムの町に入られました。当時、ユダヤの国はローマ帝国の支配下にあり、ローマの軍隊が駐屯していました。百人隊長とは、百人の部下をもつ百人隊と呼ばれるローマ軍の組織の長でした。つまり、ユダヤ人ではなく、異邦人です。その百人隊長が自分のしもべが重い病気になっていたので、何とか救いたいとの願いからイエス様のもとに使いを遣わしました。この百人隊長はユダヤの国民を愛して、ユダヤ人の会堂を建てるのに協力を惜しまなかったようです。仲介者の熱心な願いもあり、イエス様は百人隊長の家へと向かいました。すると、百人隊長の家から隊長の友人が、イエス様に隊長の伝言をもってきました。それは、イエス様を家にお入れする資格はありません。どうぞ、おことばをください。そうすればしもべは必ず癒されます、という内容でした。これを聞いたイエス様は、百人隊長の信仰に深く驚いて、このような立派な信仰はイスラエルの中にも見たことがない、と称賛されました。信仰は、まさに、血筋によらず、その人に属するものです。さて、イエス様はナインの町に入られると、そこに葬儀の列がやってきました。ひとり息子を失った母親が、付き添っていました。それをみたイエス様は可哀そうに思い、「泣かなくてもよい」と言われて、その棺に手をかけて「青年よ。起きなさい」と言って、その母親のひとり息子を生き返らせました。人々は恐れ、神をあがめました。すると、それらの出来事を見ていたバプテスマのヨハネの弟子たちが牢獄のバプテスマのヨハネに報告しました。それを聞いたバプテスマのヨハネは、牢獄から弟子たちをイエス様のもとに遣わして、「イエス様が来るべきメシヤであるかどうか」、確認したい旨の伝言を伝えました。それに対して、イエス様は、ご自分の証言ではなく、現実に起こっている神の奇跡のわざをもって、ご自分がメシヤであることを証しされました。そして、そのあと、イエス様はバプテスマのヨハネこそ、預言者イザヤによって予言されていた、メシヤに先立ち、道備えをする、「見よ。わたしは使いを遣わし」と語られた神の使い(預言者)であると証しされました。また、バプテスマのヨハネは、旧約の最後の預言者であり、旧約で約束されたメシヤの道備えを託された最も偉大な預言者でした。しかし、バプテスマのヨハネは神の国の福音を伝えた神のしもべであり、まだ、神の御国の住民となったわけではありませんでした。一方で、イエス様の御国の福音を聞いて、御国の住民となったものは、バプテスマのヨハネが語ったことを、実際に自分で体験しているのです。ですから、神の国で一番小さい者でも、バプテスマのヨハネよりは優れている、というのです。つまり、神の約束を語ったもの(預言者)と、実際に、神の約束にあずかっているもの(救われて天国の一員とされたもの)では、後者のほうがはるかに優れているというのです。さて、あるパリサイ人の家に、食事のために招かれた時のことでした。その町のひとりの罪深い女が、香油の入った石膏の壺をもってきて、涙でイエス様の足を濡らし、髪の毛でそれをぬぐい、その足に口付けして、香油を塗りました。これをみたパリサイ人が、心の中でイエス様に対して、つぶやきました。それを知ったイエス様は、ひとつのたとえを語られました。その内容は、多くの罪を赦されたものは、少ししか赦されなかったものよりも、大きな愛をもって応えるというものでした。この女は自分が罪深いものであることを自覚し、大きな愛をもってイエス様に応えました。こうして、イエス様は、その女に対して、「あなたの罪は赦されています」と宣言され、さらに、「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい」とフォローされました。救い主イエス様にふさわしい、かぐわしい香りを放つ熱い感謝と賛美の香油でした。このような女性が存在したこと、また、今も世界中に存在することを覚えて、神様に感謝します。

清宣教師