イエス様が祈りから帰られると、弟子のひとりがイエス様にお願いしました。「私たちにも祈りを教えてください」という願いでした。弟子たちは、イエス様が朝早く、ひとりで祈られたり、日中でも、ひとり寂しいところに出ていかれてお祈りされている姿を見ていました。そして、イエス様のみわざの力の根源は、イエス様の祈りにあるらしいということに気づいたようです。そこで、イエス様は弟子たちに、いわゆる「主の祈り」を教えられました。それから、祈るとはどういうことか、たとえ話をされました。「あくまでも頼み続けること」、つまり、「求め続けなさい、探し続けなさい、叩き続けなさい」とアドバイスされました。祈りは決してあきらめてはいけない、ということです。父なる神は、必ず、ご自分の子供たちに、よいものを与えてくださるのだから、父なる神に信頼して、必ず与えられると信じて求めなさい、と祈りの秘訣を教えられたのです。さて、ある人たちは、イエス様のみわざに対して、イエス様が悪霊のかしらであるから、悪霊を追い出すことが出来るのだと吹聴しました。しかし、イエス様は、それはありえないことを示されました。そうではなく、悪霊たちの中で一番強いものを縛ってこそ、悪霊にとらわれている人を解放することが出来るのだと言われたのです。それは他ならぬ神のみわざなのです。それから一つ大事なことをアドバイスされました。悪霊を追い出してもらったら、そのまま、空っぽにしておくのではなく、聖霊様に内住していただくことです。そうでないと、空っぽになった状態をみて、たくさんの悪霊を引き連れて住んでしまう恐れがあるからです。イエス様のお話が終わると、ひとりのパリサイ人がイエス様を食事に招待しました。ところが、そのパリサイ人は、イエス様が食事の前に手を清めることをなさらないのを見て、心の中でひそかに、自分を義として、この人は罪を犯している、とイエス様の行動を裁きの心で見ていました。そこで、イエス様は、パリサイ人たちの生き方が、どれほど偽善に満ちた生き方であるかを指摘されました。それを聞いた律法の専門家も、イエス様に対して異議を申し立てました。それに対して、イエス様は、律法の専門家も、パリサイ人と同じ穴のむじなであり、偽善者であることを厳しく糾弾されました。おまえたちは、預言者たちを迫害し、殺した父祖たちとは違うと主張して、いかにも自分たちを正当化しているけれども、その中身は、父祖たちと変わらず、神のしもべたちを迫害し、殺そうとする者たちである、と指摘しました。イエス様は、心の貧しい者たち、謙遜な者たちには優しく語られましたが、自分を義として、他のものを罪人扱いする高慢なパリサイ人や律法の専門家に対しては、とても、厳しく追及されたのです。うわべだけの義人たちの化けの皮をはがれたのです。その当時は、パリサイ人や律法学者たちが、宗教指導者として人々を牛耳っていたのです。イエス様は真実を語り、偽りに惑わされていた一般の人たちを、偽りの宗教から解放されたのです。まことの生ける神に立ち返るように、神のことばを語られたのです。私たちも宗教という偽りの束縛から解放されて、真に生ける神の御子であるイエス様を愛し、イエス様に従うものとなることです。

清宣教師